◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
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0001考える名無しさん
2012/07/29(日) 10:08:49.090しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
0756飛べないカラス
2012/09/04(火) 01:53:21.310>>736
言葉の意味は見かけにレッテル貼りつけただけ。味噌は乳酸菌の糞であっても調味料のカテゴリ。
>>738
糞味噌も味噌糞もいっしょの国。食糞文化の国は食糧危機に強いだろうね。
0757考える名無しさん
2012/09/04(火) 06:23:34.940主観的には骨は支えてない
ライオンは支配の象徴とか近距離型の物理思考とか肉食
を表現したものなのでピラミッド関連を創造した人達は恐らく白人を表現してる
ピラミッドは黄色で周囲は白色でアフリカには黒色なのでこれは人種の特性と掛け合わせて表現した多分脳の設計図のようなもの
北極の近くが開いてるのはいつか南に流すために開けた
らしいけどそんなに都合よく地球は動かないだろうね
0758考える名無しさん
2012/09/04(火) 07:18:54.130知性は自然物に価値を付加し感性は人工物に価値を付加する
脳や神経の仕組みや働きが違うから
地球や人の見え方が異なるので価値観が違う
カントの物自体がいちばん正しくて、ハイデガーも、仏教の空も、科学哲学もまちがってるとしか
思えないんだよ。
読んだ科学哲学の本は、「科学哲学入門」「理性の限界」「知性の限界」「感性の限界」
だよ。
0760考える名無しさん
2012/09/04(火) 16:57:15.2400761考える名無しさん
2012/09/04(火) 16:57:55.9200762抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/04(火) 18:17:54.980記憶くん、久しぶり
ラビはあまり現れないぜ
貴方は勉強家なんで、もう俺なんかでは相手にならんかもなw
「理性の限界」だか「知性の限界」だか
どちらかを図書館でちら読みした記憶がありますよ。
そこそこ面白かったかな。しかし内容についてはほぼ全く記憶にない。
世の中いろんなこと言う奴がいるんだな〜、ぐらい
ハイデガーも仏教も、ぜんぜん知らん。
カントの「物自体」は、いかなる意味で「一番正しい」と思いましたか?
非常にそそられるね。少し語ってください。
0763考える名無しさん
2012/09/04(火) 18:34:44.500仏教は実践主体。現代思想的な観念論で解釈するとバカを見る。
カントはお行儀が良すぎて今じゃ通用しない考え方。
岸田秀も吉本隆明もフロイトもユングもオカルトレベル。
信用できる思想なんて何もありゃしない。
0764考える名無しさん
2012/09/04(火) 18:47:43.150カントの物自体とは、決して認識できない存在の根幹であるね。
人が客観や物理実体を決して認識できないが、それは存在するということを示した言葉だよ。
まあ、このスレでは、何度も語られた内容だと思うけど。
最初にいったのはカントみたいだ。
0767抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/05(水) 06:52:03.140さあそこだよ記憶さんw
ヒトの思惟が『決して認識できない存在の根幹』なんて怪物を作りだしたのは
いったいどういうことなんだろうか。
「この世界はヒトの観念」である(にすぎない)ってのは、何を根拠にしてるんだろうな?
意外に根拠がないぜ。かなりの部分、「常識」を根拠にしてるのではないだろうかね。
“純粋に客観にあるもの(物自体)”なんてものに対して意識だか理性だかというようなもんが
フィルターか関数のように作用して、その結果としての「現象」が“私”の前に立ち現れる、
ってな感じだろ?割と納得しやすい話なんですよ。
つまり「理解のしやすさ」がそのような「世界観」の根拠とも言える。
しかしそのような“私”って何だ?そんなものが果たして無条件にあるか?
『一切は精神現象なのであり、それ以上のことは分からない。』ってのは
言ってみりゃ思惟による判断なのだ。
そう考えるとだ、ヒトが世界を構成するときに、
「“私”には決して分からないもの」ってのを作っちゃうわけだよ。マッチポンプなんですよ。
しかしそれは果たして“分かるべきもの”なんだろうか?
0768抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/05(水) 06:52:59.120って話ですよ。
私は「神ですらそんなことはできない」と思う。
なんとなればだね、神はその全知全能の力をもってしても
ヒトに「物自体」を理解させることができないからだ。
物自体の何が分からないのか、分からないのだよ。
「私に分かるのは現象だけ」
なぜ現象だけは分かるんだ?何がそれを保証する?
それは「現象」をそのように判断しただけじゃないのだろうか。
そーするとだ、自明とも思われていた「“私”に認識できるのは現象だけ」とは、
実はその“私”を含めて全て「物自体による作動そのもの」だと
そのように「物自体」を考え直すこともできるんじゃないか、
そう捉えることで、まったく別の地平が見えてくるんじゃないか、
なんて思うわけだね、ぼかぁ。。
0769考える名無しさん
2012/09/05(水) 09:12:08.4800770ノウ
2012/09/05(水) 09:23:45.330彼はエゴイスティックな態度で、他人の考えを退けるだろう
なぜなら、彼にとって、他人の意見は世界外のものでしかないのだから
しかし、自分の考えが私見に過ぎず、自分の考えとは別に本来の世界があると考えるなら、
彼は謙虚な態度で様々な意見に耳を傾けることができるだろう
はっきり言えば、客観主義の意味はここにしかない
客観的な存在を擁立することで、エゴイスティックな態度を戒め、謙虚な態度をとることができる
客観的理念は道徳を成立させる理念的プログラムだ
0771考える名無しさん
2012/09/05(水) 09:56:52.680おまえら。これみて神秘を理解しろよ、
0772ゲーム
2012/09/05(水) 10:37:43.280君は、ここで“仕事”をしているつもり? ご苦労さま。で、幾ら稼ぎました?
>>740
想像力がないようだね。それではゲーム(遊戯)はできない。
君たちのことをイヌ、ネコなみと称したけれども、差別的に動物名を挙げたわけではない。
イヌ、ネコなら君たちと同じ一行レスは可能だろうし、サルなら三行、チンパンジーなら
五行くらいはレスできるだろう、ということだ。譬えであり、かつ本当の話でもある。
レスこそできまいが、連中にも、それくらいの“言語はある”という説である。
むろん、これには否定的な意見も少なくない。
そこで君たちには、動物にも“言語はある”の解説を頼みたい。この説に反対なら、異論を
述べてくれてもいい。どちらでもいいが、せめてチンパンジーなみの五行はお願いしたい。w
0773考える名無しさん
2012/09/05(水) 11:07:34.04O0774ゲーム
2012/09/05(水) 11:20:51.600>>730
まぁ、いいけれども、厳密には「練馬区・在住」なら「東京都・在住」ではない。
練馬区・在住を「正しい」とするには“東京都”というメタ概念を樹てなければならない、という意味。
>>742
「真剣に」がキー・ワード? この反対語は「お気楽に」くらいかな?
ある種の「会議」では、気楽さが求められる場合がある。真剣になると、パターンを踏み、杓子定規な
結論しかでないことが少なくないからである。そこで、軽く一杯やりながら、会議を進める企業もある。
何がいいたいか。「真剣に/気楽に」は対立概念ではない。
0775ゲーム
2012/09/05(水) 11:48:36.310そこは、このスレの対立点でもある。(そんなことはないかw)
このスレの哲学の徒の大半がニーチェの洗礼を受けており、「存在の根幹」つまり「物自体」という概念には否定的。
どこまで遡行しても「自体」性を有する存在の根幹、すなわち”本質”には達しない、というのがその立場である。
それでもヒトは、原子→素粒子→超ヒモ…と遡行し続けるのだろうが。
0776ゲーム
2012/09/05(水) 12:05:27.360「量子のもつれ」は因果関係ではないだろう?
因/果が成立するためには“時間”が必要だが、それは“同時に”絡み合うのでは?
0778ノウ
2012/09/05(水) 14:42:45.380そんな正しさにはなんの意味もない
文字通り無意味だ
そんな正しさはゴミ箱に捨てるべき
意味のある発言と意味のある正しさに価値がある
無意味な正しさはただの権威づけ
有意味な正しさは知識と発展をもたらす
0779ノウ
2012/09/05(水) 14:54:54.030自分で「真剣」の反対に「気楽」を挙げておきながら
「真剣と気楽は反意語ではない」って言うのはひどくない?
僕は真剣で、君みたいなふざけた発言をしているわけじゃない
ふざけた発言ができるのはバラエティ番組で、
ニュースやドキュメントではできないよね
会議もそう、気楽な雰囲気だろうと、議題に対しては真剣に話さなければならない
駄弁で過ごしたいわけじゃないんだから
ついでに、ゲームもそう
ゲームを楽しむ一番のコツは真剣にゲームに臨むこと
ふざけてゲームをやっても楽しくないもの
0780考える名無しさん
2012/09/05(水) 15:44:40.460ヒトの思惟が「決して認識できない存在の根幹(物自体)」なんて怪物を作り出したのは
いったいどういう事なんだろう。
デカルトは、書簡の中で、日常の生活に於いては、主観(自己)と客観(世界)の一致した
状態を認めている。フッサ−ルも、「イデ−ン1」の中で、「実在的世界(客観的存在)」は、
なるほど存在しはするが、しかし、超越論的主観性へと、本質的に関係づけられた相対性を持つ」と、
述べている。 つまり、私達は、普段の日常的認識に於いては、主観(自己)と客観(世界)は、一致を
しているが、哲学的(認識論)に厳密に定義(我思う故に我有り)付けられる事により、主観/客観の分離が
起こる。 カントの「物自体」の概念は、このデカルトの「主観/客観の分離」の認識論から始まっている。
そして、カントは、「主観と客観の一致」と言う事を念頭として、「物自体」を考察し、「物自体」の存在を
客観存在と認めている。しかし、「物自体」は、「対象が空間という感性形式を通して現れる前のものだから、
これ(物自体)を知覚することは出来ない。」と述べている。 しかし、これは人間の感性的認識(五官)から、「物自体」を、
見ようとした為であると考えられる。 この点に関して、フッサ−ルが述べている様に、「構成的内在」から客観的存在としての
「物自体」を認識することは、現象学的に可能ではないかと思う。
0781考える名無しさん
2012/09/05(水) 16:01:18.1100782ゲーム
2012/09/05(水) 16:52:28.410あいかわらず、ものわかりが悪いね。クダらぬことでハラを立てている。w
「練馬に住んでいる」という言明が“正しい”とされるためには“東京”と
いうメタ概念が成立していなければならず“東京・在住”なる言明が正しい
とされるためには“日本”が認定されていなければならない。
「正しい/正しくない」を決定するには上位概念(規則)が必要であり、それを
欠けば、決定不能に陥るという常識を述べたまで。
ちなみに“国境問題”がなぜ起こるか、君にもわかるだろう?
君のレスに即せば、どんな言明もそれ自体では“意味”はない、ということだ。
0783ゲーム
2012/09/05(水) 17:11:01.670やはり君も“真剣”を“気楽”の反対語として使っているではないか。
糞よりも味噌を価値あり、としたように「真剣>気楽」としている。
議題によっては、真剣に駄弁を弄してw場を白けさせる輩もいなくはない。
気楽に考えて、採用される意見もなくはないのである。w
君が真剣に発言しなければ…といっているのは“礼儀”のことだね。
君は少し前に、ふざけた発言に終始し、石を持て追放されたではないか。w
態度も悪く、中身もなかったからね。
0784ゲーム
2012/09/05(水) 17:20:39.700一行しかレスできないイヌ、ネコなみ君か。
言葉遊びに決まっているだろう。仕事でもしているつもりか。
その仕事も“言語のゲーム”なんだけど、それは君に理解できなくてもいい。
実質のある/実質のない、を決定するのは何? 君には無理か。
0785ノウ
2012/09/05(水) 17:23:27.020練馬区在住ならば東京在住なのは
彼についてまったく知らなくても分かる
それは東京〉練馬区
という大小関係だけで決まっていて
彼について何ら情報を有してないんだよ
言葉がもつ意味の情報量ってのは、
その発言の否定言明と同量なんだよ
ある日本人がいた時に
「彼はおそらく練馬区在住だ」と言えば情報量がある、つまり有意味になるんだよ
ちょっと分かりやすく言うと
発言に嘘が混ざっている可能性が高ければ高いほど、
その発言は情報量が多い有意味な発言になるんだよ
0786考える名無しさん
2012/09/05(水) 17:28:01.870>君の書き込みからは「味噌のほうが糞よりも値打ち
>がある」かのニュアンスが感じられる。が、そう単純ではなかろう。
>糞のほうが「価値がある」場合もなくはないのである。
>例えば何?
>想像力がないようだね。それではゲーム(遊戯)はできない。
「私も具体例は知らないが、無根拠に言い放ってそれを相手に想像させるゲームをしているんだ」
というわけ?
0787考える名無しさん
2012/09/05(水) 17:31:03.110この場合、「実質」として要求されているものは
「科学とオカルトに関して、糞の方が価値がある例」のことだ
0788ノウ
2012/09/05(水) 17:31:35.230嘘とそうでないものを区別することが条件なんだよ
でたらめってのは、その発言が嘘だろうと本当だろうとどうでもいいんだよ
どうでもいいが、気楽にやることが真剣でないとは思わない
肩肘はってやるくらいなら気楽にやれ
ミスを恐るな
ただし、ミスはミスであると自覚しろ
俺は真剣に書き込んでる
でも、気楽ではある
間違った発言をすることもあるだろう
だが、あのニュートンだって魔術みたいなオカルトを発表したんだから
俺が発言を恐れるものは何もない
0789考える名無しさん
2012/09/05(水) 17:35:47.090「彼は練馬区在住だ」
と断定した方が情報量は大きい
こんなの子供でもわかるでしょ
0790ゲーム
2012/09/05(水) 17:44:29.530「東京>練馬」が相互に了解されていなければ「私は練馬に住んでいる」という言明の
正/誤は決まらない。君は大/小といっているけれども、上/下でも一緒。
上位概念をもつことによって、情報量は増える。逆か。情報量が増えることによって
上位概念へと飛躍し、あるとき「ウォーター」というそれに彼女は至った。w
上位概念へと
0791ゲーム
2012/09/05(水) 17:52:55.530うそとそうでないものを区別するのに「真剣」かどうかは関係ない。
その両者を包括するルールが必要なだけ。
>>786
どういう場合に、どういう人にとって「味噌よりも糞が値打ちがあるのか」
想像できないのか。糞趣味がないので、あまり具体的に語りたくないだけ。w
0792ゲーム
2012/09/05(水) 17:58:11.270「意義あり」だけれども、所用があるので待たれよ。
フッサールは(微妙なところがあるのだけれども)物自体という領域を否定しているのでは?
0793考える名無しさん
2012/09/05(水) 18:59:30.8500794ge0mu
2012/09/05(水) 19:00:12.4000795考える名無しさん
2012/09/05(水) 19:03:20.650「現象学還元とは、一切の超越者(客観的存在)に無効の符号をつけることであり、
すなわち、その超越者(客観的存在)の実在と妥当性をそのまま定立しないで、せいぜい
妥当現象として定立させる事である。」と、フッサ−ルは述べている。 従って、超越者を、
実体と認めいるが、「現象学還元」に於いては、実在と妥当性を、そのまま定立しないと解釈している。
又、カントの「物自体」の概念と、フッサ−ルの「超越者」の概念は、同じ「客観的存在」と解釈している。
0796考える名無しさん
2012/09/05(水) 19:04:55.170)\ \_| ▼ ▼ |.. / / \
/__ │.\ 皿 / _ / /^\) <さあ、思う存分語るが良い!!
//// /⌒ ⌒ ̄_/
/ / / // ̄\ マモノ | ̄ ̄
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((/ ( _ )
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/ / し
0797抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/05(水) 19:06:59.360なるほど、いろんな人がいろいろと考えるが、しかしそれらは似てもくる。
その「構成的内在」ってのはしかし、誰がその本性を知ってるんでしょうか。
なんかちょっと便利すぎる用語って感じがしますわね。
私はね、最近思うんですよ、
感官によって認識できないものであっても、その存在が論理によって要請されるなら
それは存在するとするしかない、と。この論理とは、まあ「辻褄」です。
「時間」なんかそうですよね。
「人間がいなけりゃ時間は存在しない」とか、哲学板でも本当によく言われるんですよ。
その気持ちも分からんではない。
しかし、じゃあその人間って誰よ?そしてその人間って「いつ」生まれたんだ?とか訊ねると、
もうまともには答えられない。
ヒト無しには時間が無いとするなら、「ヒトは“いつか”生まれたものだ」って思考を放棄しなければならない。
そんなことできますか?
論理を優先するなら、やっぱりヒトよりも時間が先立つんです。
「物自体」ってのも、それが認識不可能だとしても、カント先生はしかし「ある」と言うしかなかった。
多分、そうしないと辻褄が合わなくなるんでしょう。
ヒトが世界の仕組みを考えるときに、どうやったって論理に沿って考えるしかない。
0798ノウ
2012/09/05(水) 19:07:04.210断定するかどうかはあまり関係ない
ある遺体があがった時に
「この練馬区在住の遺体は日本在住です」と報告した部下と
「この日本在住の遺体は練馬区在住です」と報告した部下がいた
前者はクビになりかねない
知識人は時々前者の発言をしがちだし
前者の正しさを求めがちだけど、
どう考えても前者はくだらない発言なわけだ
0799抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/05(水) 19:07:36.350二乗してマイナスになる数なんて、二次方程式までは「解無し」でもよかった。
しかし四次方程式(三次?いや五次だったかな?w)の実数解を導出する途中で虚数が現れるので
虚数は「有る」ことになった。
ニュートンが慣性系を定立できたのは恐らく論理的要請です。観察とか実験に依るものじゃない。
現代物理なんかも、認識レベルを超えて、論理的整合性を追うわけです。
論理を越えることはできない。思考の最上位に論理が君臨しているんです。
しかし果たしてそんなことを無制限に許してよいのか。
なんて思っても、それを考えるのも論理なんです。もうどうしようもないw
ところがですね、ある理論の全体の構造を見る場合なんかに、一次的な要素、
二次的な要素(んー微妙)ってのが感性によって理解できたりする気もするわけです。。
例えば私にとっては、エネルギーなんかは二次的なものです。ツールなんです。
これがツールであることは論理的な帰結じゃない。私の感性なんです。
「構成的内在」・・それはどんな内容なんでしょう?聞きたいですね。
0800抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/09/05(水) 19:08:34.360w
0801ノウ
2012/09/05(水) 19:14:12.950嘘とそうでないものを区別する必要があるのはニュースやドキュメントのような真剣な場合だけだ
会議や裁判や学会も、嘘とそうでないものを区別する必要がある
それが真剣な言葉の場だからだ
が、でたらめでいい人は、そもそも両者を区別する必要がない
嘘と本当を峻別するいかなる規範にもコミットする必要がない
0802考える名無しさん
2012/09/05(水) 20:06:12.800|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ < 買い物に出かけて暑さにやられた。
\ 皿 / )) …ということにしてちょっとだけ昼寝するw
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐'
0803考える名無しさん
2012/09/05(水) 20:07:01.130\_| ▼ ▼ |_/ワシも外出から帰ったらめまいするから寝る
\ 皿 /
/ _ノ⌒⌒⌒`〜、_
( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ)
⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃
0804考える名無しさん
2012/09/05(水) 20:08:11.140/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ちゃんと水分採ったのか〜?
\
 ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄
___ | \ \
/ / )))) |
/ /_ ⊂ノ | ヽヽ .|\
/ /|\_/ ̄ ̄\_/| i 、、 | ヽヽ .|\ | \
/ / \\_| ▼ ▼ |_/ ド ド |ヽ |\ | |
/ / \ \ 皿/
/ / ヽ ⌒\
/ ノ /> >
/ / 6三ノ
0805考える名無しさん
2012/09/05(水) 21:30:20.880. @@@
|\_/ \_/|
\_| ▼ ▼ |_/
\ 皿 / 今夜は涼しいわ〜
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J
0806考える名無しさん
2012/09/05(水) 21:39:54.2300807考える名無しさん
2012/09/05(水) 22:10:31.660|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ 今日は、なんとなく涼しいよ
\ 皿 / )) 二度寝する〜
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐
存在の本質などないといったのが仏教のナーガルジュナの「中論」です。
般若心経の根拠です。
0809飛べないカラス
2012/09/06(木) 10:26:57.630> 無意味な正しさはただの権威づけ
> 有意味な正しさは知識と発展をもたらす
意味と正しさの定義をどうぞ。
>>784
> 一行しかレスできないイヌ、ネコなみ君か。
> 言葉遊びに決まっているだろう。仕事でもしているつもりか。
> その仕事も“言語のゲーム”なんだけど、それは君に理解できなくてもいい。
ここは一行レス程度の内容の長文スレです。
>>785
> 言葉がもつ意味の情報量ってのは、
> その発言の否定言明と同量なんだよ
必ずしもそうでは無い。
> ちょっと分かりやすく言うと
> 発言に嘘が混ざっている可能性が高ければ高いほど、
> その発言は情報量が多い有意味な発言になるんだよ
情報量が多いと有意味になるのでしょうか。これも定義をどうぞ
0810ノウ
2012/09/06(木) 10:47:15.260意味
言明がもつ情報の量
正しさ
正当化と真という2つの概念に分類できるが、
それらを総括して括る、
言葉のやりとりにおいて目的となる概念
「上戸彩は今はフリー」と「上戸彩は今は付き合ってる彼氏がいる」は共に情報量は同じ
そうでないと君が言うなら具体例を挙げてみたまえ
ま、Pと¬Pの情報量は同じなんで、まず具体例は出せないと思うが
情報量があると有意味になる
情報量がないと無意味になる
文字通り、情報があるなら有意味、情報がないなら無意味である
そして、たいていの人は、無意味なものを正しく感じてしまうもの
「練馬区在住の彼は東京在住である」は無意味である
また、それゆえに必ず正しい
0811飛べないカラス
2012/09/06(木) 11:00:05.770> ま、Pと¬Pの情報量は同じなんで、まず具体例は出せないと思うが
ジャンケンでグーは非グーの2倍では。3種類というのが前提としてありますが。
> 情報量があると有意味になる
> 情報量がないと無意味になる
> 文字通り、情報があるなら有意味、情報がないなら無意味である
では情報と意味の違いは何でしょう。意味にも意味量がありますか。
0812ノウ
2012/09/06(木) 11:18:02.200「彼はジャンケンでグーを出した」と
「彼はジャンケンでチョキかパーのどちらかを出した」の情報量は同じだよ
前提として「グー、チョキ、パーのいずれかしか出せない」という補説が必要だけど
意味と情報は同じようなもんだね
定義ってのは別の言葉でどう言い換えるかだけの話だから
定義を質問された以上、言い換えれる言葉しか挙げれないんだよ
例えば、羽毛の定義は鳥の羽になるし、鳥の定義は羽毛をもつ動物となる
定義ってのは必ず回転せざるを得ないんだよね
0813飛べないカラス
2012/09/06(木) 11:30:24.100> 「彼はジャンケンでグーを出した」と
> 「彼はジャンケンでチョキかパーのどちらかを出した」の情報量は同じだよ
何故でしょう。3分の1と3分の2で2倍ですが。
> 意味と情報は同じようなもんだね
意味と情報は同じであるというあなたの主張を含むのでしょう。
0814ノウ
2012/09/06(木) 11:39:09.550「彼はグーを出した」と「彼はチョキを出した」の情報量が等しくないからだろうね
「昨日、雨が降った」と「昨日、雪が降った」の情報量が等しくないように
「昨日、雨が降った」と「昨日、雨が降らなかった」の情報量が同じである以上、
雨が降らなくても、雪やら槍やら雹は降るかもしれんが、
発言の量は一緒なんだよね
0815飛べないカラス
2012/09/06(木) 12:29:39.800> 「昨日、雨が降った」と「昨日、雨が降らなかった」の情報量が同じである以上、
必ずしも同じでは無い。
> 雨が降らなくても、雪やら槍やら雹は降るかもしれんが、
> 発言の量は一緒なんだよね
発言の量が情報量にどのように関係するのでしょうか。
0816飛べないカラス
2012/09/06(木) 12:33:17.020ではどうぞ。
0817考える名無しさん
2012/09/06(木) 12:42:25.1800818考える名無しさん
2012/09/06(木) 13:29:20.15O0819考える名無しさん
2012/09/06(木) 16:04:07.9200820考える名無しさん
2012/09/06(木) 16:38:16.460フッサ−ルの「現象学」の内在(自己)には、二通りあり、「実的内在(個的直観)」と、「構成的内在(意味の直観)}です。
この「実的内在」とは、知覚、想起、現象などの「個的直観」としての内在です。そして、「構成的内在」とは、「明証的に構成
される自己所与性という意味での内在」です。現象学では、「現象学還元」によって、「実的内在」から「純粋意識」を経て「構成的内在」に至る。
この「構成的内在」より、超越(客観的存在)を意識の「内」に認識すると、私は解釈している。
0821ゲーム
2012/09/06(木) 17:02:30.340「物自体」と「超越(者)」は似ている。が、前者が現象に対する“真実在”とでも
呼ぶべき絶対不可知、認識不能の領野を指しているとすれば、後者は意識(主観)
における可疑の領域、すなわち事象の確信(妥当)ののちも、なお残る疑いの余地
を意味しているようにみえる。
カントは明らかに二元論だけれども、フッサールは“超越論的主観”によって構成
される事象の“外”はない、という立場では? 君のいう「構成的内在」が唯一の
『世界』ではないか。
0822ゲーム
2012/09/06(木) 17:40:44.750「在住の遺体」とは耳慣れぬ表現だが、前者も「意味」をもつことはありうる。
どれだけ情報が“意味”を有するかは発信者と受信者の“関係”によって決まる。
前者の報告をしたものがクビにならぬまでもドヤされるとしたら、彼らが日本在住の場合。w
日本>東京>練馬が両者のあいだで自明のときである。
言明(情報)それ自体に“意味”があるわけではない。
0823ノウ
2012/09/06(木) 19:23:37.760この理論(俺の理論じゃない)は形式論理の排中律に依拠しているように思う
Pまたは¬Pという排中律から
カードの表裏のようにPと¬Pの情報量を同等としている
この原理自体がある種の真理観を前提にしているのかもしれないね
0824ノウ
2012/09/06(木) 19:36:57.620はっきり言えば
人間の生活においては、正しい知識に価値はないんですよ
新しい知識に価値があるんです
(知識は情報と言い換えても可)
学会でもそうで、正しいことを発表しても評価されず
新しいことを発表すると評価されるんです
その警官がクビになるのは、新しい情報を持ってこずに正しい情報(情報量0の情報)をもってきたからです
後者の警官は、正しいか間違ってるかは分からないが、新しい情報をもってきたわけです
ニュースもそうですが、新しい情報に価値があるわけです
しかし、ダン・ラザーが誤情報をつかまされて引退したように、間違った情報を垂れ流していいわけではない
0825考える名無しさん
2012/09/06(木) 23:21:07.8500826考える名無しさん
2012/09/06(木) 23:45:09.430「明日は雨です。出かける時は傘をもって出かけてください」とか
「明日は晴れです。傘は必要ありません」とか言うわけだけど、
これは新しい情報であって、どっちが正しいかは分からない
ある気象予報が
「明日は雨が降るか、雨が降らないかのどちらかでしょう」と発言した
彼の発言は正しい発言であり、間違っている可能性はほぼない
しかし、この発言は何ら新しい情報を有してないので
気象予報としてはまるで役に立たない
こんな予報ばかりしていたらクビになるだろう
これは警察の例と何ら変わらない
0827考える名無しさん
2012/09/06(木) 23:54:06.790足立区でもいい
そして遺体は豊島区のものかもしれない
明日は雨が降らず雹が降るかもしれない
ニュースキャスターの読みあげた原稿は間違っているかもしれない
しかし、必ず正しい原稿は、無意味であってまったく役に立たない
0828ノウ
2012/09/07(金) 00:55:37.100もちろん俺ね
0829考える名無しさん
2012/09/07(金) 03:55:21.870無意味な言明は矛盾しないから真だというだけで。
0830考える名無しさん
2012/09/07(金) 04:01:58.4000831考える名無しさん
2012/09/07(金) 04:45:37.750佐々木敦×千葉雅也 未知との遭遇は如何にして可能か?
http://www.youtube.com/watch?v=_kjbpbZ2oVc#t=1h21m21s
0832ノウ
2012/09/07(金) 06:19:14.090まず、矛盾しないものが必ず真であるとは限らない
矛盾しない偽なる命題もある
次に、真なる言明も偽なる言明もともに有意味である
最後に、必ず正しい言明、つまり恒真な言明は必ず無意味である
ウィトゲンシュタインは、
論理的に恒真な関係は、そこに意味がまったく増えてないから恒真である
と語っている
無意味であることが恒真であることの根拠となっている
翻せば、ある言明が必ず正しいなら、その言明は無意味にされているということでもある
0833ノウ
2012/09/07(金) 06:47:57.860そろそろ死ぬかもしれんから、死ぬ前に少し意見を書きたい
合理主義においてミュンヒハウゼン・トリレンマを回避するには
トリレンマの原因である正当化を求めないことだ
正当化の替わりになる言論上の価値は真理しかない
「真理」という言葉を聞いて「正当化」を想像する人がほとんどだろうが、
分かりやすく言えば、必ず正しいものは求めても無駄だということだ
求めるべきは、多いに間違ってそうな正しいものだ
明日の天気に必ず正しい答えを出そうとすると「雨が降るか降らないかのどちらか」みたいな答えになる
必ず正しい答えに意味はない
多いに間違ってそうな答えに価値こそ、言論を豊かにする
「明日は槍が降ってくるので出かける時は盾を持ち歩きましょう」
これは多いに間違ってそうで、かつ、多いに間違っているわけだが(本当に明日、槍が降ってきたらすみません)
「明日は曇り時々雨、晴れ間は見えない」のように、多いに間違ってそうで、正しい発言を求めることが真理の価値になる
そして、どんなに正しい発言であっても必ず正しいわけではない以上、間違ってる可能性はある
逆に言えば、どんなに間違ってる発言でも、(それが矛盾してなければ、)必ず間違ってるわけではない以上、どんなトンデモ発言にも正しい可能性はある
0834考える名無しさん
2012/09/07(金) 08:17:09.940生きてても無駄だからとっととくたばるべき
というのは言い過ぎか、こんな奴でも生きる価値が微レ在かもしれんし
0835ノウ
2012/09/07(金) 08:59:24.44iでも、俺が言う意見の「真理がある」は10年ぐらい変わってないぜ
そして、10年たっても理解されない
俺がほらふき男爵のコテをつけてたのが8年前だというのに
まだ、合理主義が抱える問題に向き合ってる奴は少ない
上の方で合理性批判をしていた人がいたけど、
あの批判と対峙できるのは俺ぐらいだ
そして大事なのは、真理に代表される客観的理念へのコミットだ
俺は客観主義者として多くの試論を述べたいけど、
まぁ、誤解されるだけだろうから、まったりと暇つぶしに書き込んどる
0836ノウ
2012/09/07(金) 09:07:18.20iまぁ、慣れ親しんだ、という感じかな
真理について補足するなら、
正当化に関する探求はトリレンマを脱し得ないから、虚しいだけだと思う
さらに言えば、合理主義へのよくある批判は、すべて正当化主義への批判として大別できると思う
まぁ、非正当化主義もまた合理主義からは変な目で見られる集団だけどね
0837考える名無しさん
2012/09/07(金) 09:10:01.3900838ノウ
2012/09/07(金) 09:15:14.01i過疎るよりだべる方がいいだろ
無意味を求める人との会話より100倍いい
0839考える名無しさん
2012/09/07(金) 13:18:45.030フクシマ第一で働いてきたらいいのにね。
0840飛べないカラス
2012/09/07(金) 18:35:56.590意味不明杉。計算方法を示してください。
>>824
何故正しいの反対が新しいのでしょう。
>>833
天気予報は正しい答えを求めないのでしょうか。
>>835
真理とは何でしょう。
0841ノウ
2012/09/07(金) 20:34:21.56i1÷2=1/2
正しいの反対は間違い
ところが、正しいことが分かってる情報や、間違ってることが分かってる情報じゃ、学会に報告する価値はない
学会に提出するならば、正しいか間違ってるか分からない新しい情報が必要だよね
天気予報は正しい答えを求める
でたらめを言っていいわけではないから
だけど、天気予報は平気で正しくないことを言うよね
天気予報が外れることなんてしょっちゅうだ
天気予報を見る人はそこに正しい情報ではなく新しい情報を求めて見るよね
真理とは、言葉と存在の対応のこと
昨日、東京に雨が降ったならば
「昨日、東京に雨が降った」は真である
0842考える名無しさん
2012/09/07(金) 20:51:19.380そうであるなら、正しい情報は無意味とまで言うのは言いすぎ
0843ノウ
2012/09/07(金) 20:58:30.13i正しい情報が無意味なのではなく、
必ず正しい情報が無意味
正しいか間違ってるか分からない情報は有意味
例えば、昨日雨が降ったとする
「昨日、雨が降った」→有意味な正しい情報
「昨日、雨が降らなかった」→有意味な間違ってる情報
「昨日、雨が降った、もしくは、雨が降らなかった」→無意味な正しい情報
「昨日、雨が降って、かつ、雨は降らなかった」→有意味(!)な間違ってる情報
0844ノウ
2012/09/07(金) 21:03:53.28iでも実は雨は降ってなかったんだよ」
これは正しいか間違ってるかは分からないが新しい情報、もちろん有意味
つまり、上で書いた
「昨日、雨が降った」は間違ってる可能性を含んでるし
「昨日、雨が降らなかった」は正しい可能性を含んでいる
間違ってる可能性をまったく含まない
「昨日、雨が降った、または、雨が降らなかった」は必ず正しくなる
0845842
2012/09/07(金) 21:13:13.390トランプでばば抜きをしていて
「私はジョーカーを持っている(または持っていない)」は
私にとっては無意味かもしれないが、他者にとってはそうではない。
0846ノウ
2012/09/07(金) 21:19:12.68iわたしにとっても無意味ではない
無意味な言明ってのは、存在について語ってない言明
「わたしはジョーカーを持ってるか持ってないかのどちらかだ」とかが無意味
それは存在において彼が何をしているかに関係なく成立するから
0847842
2012/09/07(金) 21:21:21.440ばば抜きしたこと無いんですか?
自分のカードは全て自分には見えているんですよ。
0848842
2012/09/07(金) 21:26:48.730その情報量は、命題によっては決まらない。
ゲーム氏が言っているのも恐らく似たような話。
0849842
2012/09/07(金) 21:34:59.220地球上で雨の降ってないところなんて無いんですよ。
0850考える名無しさん
2012/09/07(金) 21:35:53.650可能性を限定した上で必ず正しい情報は存在し、価値が全然違う
例えばここにある物質Aがあるとして、一秒後の物質の位置は?
A1,宇宙のどこかに存在する
A2,少なくとも半径30万km以内にある
この情報はどちらも正しいが価値が全然違う
0851飛べないカラス
2012/09/07(金) 21:57:27.6400853考える名無しさん
2012/09/08(土) 02:58:24.48P無邪気に使って良いもんなん?
0854考える名無しさん
2012/09/08(土) 05:44:29.7600855考える名無しさん
2012/09/08(土) 07:17:58.500syoumei
1 このスレで自分以外の住人は少ないと思う
2 自分は直観主義論理を知っている
3 このスレで直観主義論理を知らない住人は少ないと思う
qod.
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