〜証明は循環論法か〜

前にも言いましたけど、因果律の正しさは“証明”wができて、
・全ての結果は全ての原因によって決まる。
・因果律とは原因によって結果が決まることである。
・故に因果律は正しい。
なんぞそれ。これすなわち循環論法なわけです。

ところで平面幾何学の証明は循環論法なのでしょうか。
公理公準は三平方の定理の内容を含んでいる?
情報量に変化は無い?・・・
いやまさか。どう考えたっておかしい。
三平方の定理は公準ほどの自明性を持ちますか?
まったく対等じゃない。どこか間違っている

つまりですね、平面幾何学に於いて、
・平面上に無制限に(どのようにでも)線及び図形が引ける。
・線や図形の性質は、それらをいかように平行移動させようが回転させようが保持される、

そのことが思考の前提として介入している。しかしそれは公理公準には含まれない。
自明だと思われているからでしょうか。しかし本当に自明ですかね?

さらに重大なのは、「描かれ得る図形を全て列挙することは不可能」だってことです。

制限無く図形を描ける平面上に於いて、対称性を前提に、自在に図形を移動させ、比較することができる。
そこを離れて記号形式だけで証明が可能なわけではない。
なのに「その行為によっては情報量が増えていない」などと、どうして言えるのか。

英語の文字はアルファベット26文字です。それ以外に無い。
じゃあ、英語で書かれた文章はアルファベット以上の情報が「無い」っての?
いやおかしいでしょう。何がおかしいの?
教えなさい、エロイひと達。