オカルト君(かどうか知らんが)
常識的には、自然を「理解」で埋め尽くすことはできてはいないのが実情ようにも見える。
しかしそれは自然に不可知な対象があるということを意味しない。
知は自らが十分に知であることを求めて活動する。
なので知り得ることは全て知り得る。知り得ないことなど無いのだ。
いわゆる「物自体」は知り得ないのではなく、
それを知り得ないとしか思えないように思惟ができている、とするのが正確。
そしてそれ以上の「メタ」は無い。

一方で、自然には「知外」があるのかどうか、それは言えない。
分からないのではなく、言えないのである。
分かるとか分からないとかというような論理の一切をそこに介入させることができない。

私がオカルトで気に入らないのは、理解できないことを知っているが如くに言い募る
その態度なのだ。
論を否定するのに論を用いて、勝手に不可知の脳内構造を作り上げる。
思惟が暴走しているのだ。

「抜け穴」だと理解できるならそれはオカルトじゃない。科学なのだ。
それ以外の“抜け穴”は、内容の無い言葉だけ妄想であり、オカルトじゃあない。
物理法則が歪んでいるなら、その歪みは科学によってのみ矯正される。
物理法則と現実との差異が差異として発見できるなら、それは既に科学なのである。

科学の限界を『示唆』できるのはオカルトじゃない。科学自身なのだ。