◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
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0001考える名無しさん
2012/07/29(日) 10:08:49.090しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
0024抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/30(月) 20:27:07.980正直、大した内容じゃあなかったですが。
先日来、ヒッグス粒子だろう粒子がが見つかった、とか騒いでますが
どうにも当事者のはしゃぎっぷりに違和感があるというか、感動しないというか
役にもたたん科学者の自慰行為に、あそこまでのべらぼうなおもちゃを与える必要が
果たしてあったんだろうか。。。
しかし一方でハヤブサの帰還には感動したりしたわけですがw
0025抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/30(月) 20:34:11.800ん?前スレで「定義できない存在」とか行ってた名無しさんはカラスさん?
それともその「自分」てのは私のこと?
0026抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/30(月) 20:59:05.190結論から言えば、私は「しない」と見ます。
物理学の傾向としては、力を別のもの(≒幾何)に解消しようとしているように思えます(まあ、知らんのですが)。
質量も「ヒッグス粒子の海」の中に於ける物質の動きにくさに解消されつつあるでしょう。
すべては素粒子ありき。「時空間」の性質も素粒子の性質に解消されていくのではないですかね。
ここの重大なのは、素粒子は自発的に作動している、ってことです。
ちょっと前にゲームさんに絡んだ名無しさんが「死せる物質」云々と話をされてましたでしょ。
思うにこの「死せる物質」なる考え方には、ニュートンの慣性の法則も影響しているように思います。
止まった物体は外部から力が働かないかぎり動かない。死んだも同然というわけです。
しかし素粒子は外部からの作用(=力)が無くとも活動します。停止することは許されない。
作動する物質が集まって空間を形成し、その作動の総体として近似的にニュートンの運動法則に沿うのだとするなら
「力」とは、個々に作動する物質の集合である「物体の運動」を測るのに便利な概念、
ツールに格下げされる・・のではないかしら。
私の言うことも、カラス君よろしく「何でも物質論」になってきましたがw
0027ゲーム
2012/07/30(月) 21:15:28.860「無」は、その本質を「〜である」と規定できないでしょう。
したがって、その否定「〜でない」を幾つ重ねても“無”には届かない。
「〜でない」ではなく「〜がない」によって辛うじて“無”を仄めかせるかもしれぬ。
まず「時・空」がない。しきりに私が振りかざしてきたw「力」も不在である。
時・空と力が存在しなければ「無」といえるのではないか。
しかし、これは絶対・無ではないらしいのである。伝聞情報をもとに印象を述べるなら、
「ゼロ」ではなく「負(マイナス)」が“あった”らしい。
ゼロに落ち込まずに“マイナス”から“ブラス”に転じるためには“力”の作用を要する。
このとき時・空を発祥し、それは“力”とともに「存在」を支えている。
この“力”が何に由来し、何によって媒介されたのか、見当もつかない。(苦笑)
0028考える名無しさん
2012/07/30(月) 21:43:01.310それが確率論の問題点
0029ゲーム
2012/07/30(月) 21:53:18.700では、素朴に絡みましょう。
抄録氏のいう“素粒子”は俗にいう「ビッグバン」以降の話。
それが存在するときは、もう力と時・空の織りなす“世界”の基本はできている。
ビッグバンを否定しないのなら、ビッグバンは何によって生じたのか。
まさか「素粒子がそれを惹き起こした」とはいうまい。w
仮にビッグバンを否定するとして、では抄録氏が根源に定立する“素粒子”は
どのように生成されたのか。無から?
何であれ、生じるためには“力”を要する。違う?
素粒子が自発的に活動? ご冗談を。素粒子はエネルギー態であるか、質量を
有している。それは“力”の別名であり、それらが動き続けるのは他と関係し
合うからである。それを可能にするのもまた“力”である。
他の力に一切、依存せずに存在できるとしたら、それは“神”である。
まさか素粒子が神だとはいわないでしょうね。w
0030考える名無しさん
2012/07/30(月) 22:21:58.510主観なものは、それを認知したときにそうなる。
つまり両方認知すれば両方同時にも成立しえる。
0031考える名無しさん
2012/07/30(月) 22:40:00.750対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。
対象物があれば錯覚、無ければ幻なんだけどな^^;
対象物の有無によってそれらは区別されるんだけど、君は主体を錯覚or幻に求めているだけだよね?
0032抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/30(月) 22:56:47.570ゲーム氏の、その飽くなき「力への信仰」はいかなる情熱に依っているのか。
何もないところに「力」だけがあるってのは、どんな感じなんですかね。
貴方の考えるその「力」とやらは、虚無の中で空疎にその力を潜在させているわけですか?
そんなものが「力」と言えますかね?「力」の大安売りに過ぎませんかね。
物質の発生の由来など私には分かりません。
しかし力が物質に先行する道理など、特に無いように思う。
なんでも、力(自然界の4つの力)は素粒子(光子とか中間子とか)の交換によって生じる
ってのが今の物理学界の大勢らしいですぜ。素粒子ありきでしょ。
0034抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/30(月) 23:16:58.720いや「錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?」
とかレスされて、私としては「この人は唐突に何を言っているのかな?」
と思ってるわけですよ。
「定義できない存在」とは何ですか?との私の問いに対して
「錯覚と幻(の差異)」がどう対応するのですかね?
あと、絡むならハンドルネーム付けて欲しい。ステハンでいいので。
0035大真空界皇帝ハーデス ◆FZrNe5pDrY
2012/07/31(火) 00:00:05.200確かに消去主義はExplanatory gapを持ち出せば反駁は難しいが、
>>1及びその後の議論は消去主義の議論の範疇を出ないと思うのだが是如何?
0039大真空界皇帝ハーデス ◆FZrNe5pDrY
2012/07/31(火) 01:04:29.450物質世界と人間が知覚する世界のギャップは埋められていない。
理由は、脳の化学反応から主観を説明するメカニズムが未だ解明されてないから。
それはパンドラの箱であり、解明されたら人類が滅亡する危機さえある。
拠って現在の人間がなし得るのは、物質的な説明と主観的(語彙に拠る)な説明を異なった語彙ですることだけ。
要は、「語り方」「いかに賛同を得るか」ということに終局する。それが言葉であり、文学であり、哲学の全て。
0040抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 01:21:15.320まとめると、
「錯覚した対象(であるかも不明な脳内現象)」を認知した時に幻となる
ってことで良いですかね。
で、貴方は「定義できない存在」云々と言っている人とは関係ない人なわけだ。
それならあらためて貴方に答えるとですね
>錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?
いや思ってませんよ。
認識はそれ自体、存在を映したものかどうか分かりませんよね。
なので「意識によって構成される世界は全て錯覚」なんて謂いが可能なわけです。
そう考える時、どこまでも錯覚によって構成されてしまう世界に於いて、
貴方の言う「対象物が幻ではない(≒対象物が存在する)」と言う際に
貴方はどうやってそれを判断できるのか、てなことを問うたわけです。
それに対して「存在するかどうかによって判断する」と答えるならば、
存在を知っている神だけがそれを判断できる、ってことですね。
それとも「存在するかどうかは存在するかどうかによって判断する」とかいうナンセンス?
0041抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 01:40:05.900人類が滅亡するかどうかは知らんがw
しかしこれはメカニズムの問題ではなく、原理的な問題だと思うね。
物質世界は思惟によって構成されていると考えられるので
本来的に思惟は物理によって説明できない可能性が圧倒的に高い。
さらには「瞬間」によってがちがちに状態が固定される物理的物質によってでは
瞬間を超越して活動する思惟を説明する方法論が無い。
あとは、専ら局所因果的な説明しかしない物理によっては、
空間的に広がりを持つ脳に於ける意識の統一性を説明する方法が無い。
こんなところだろ。
文学じゃねーよ。
0042考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:01:32.160どんどん拡張されていくのが学問。
ニュートンの微積が世界の記述を変えたように、次なる科学の道具が新しい世界を見せてくれる
0043抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:03:38.640早く見せてくれ
俺が生きているうちにw
0044考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:13:21.890根拠があっても根拠が成立すると証明できるの?
できないだろwwww
完全に証明できる類は数学的に行う必要があり、数学的な証明は
数学のモデルであって現実ではない。
0045考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:14:33.200これは根拠が主観だよね。根拠が無いと言ってもいいよね。楽観主義だよね^−^
0046抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:28:01.400現実に無いんだから無いと言ってんだよ
あり得ないとまでは言ってねえよ
数学的証明とか、話がすっとこどっこいなんだよ
>>45
哲学も数学も全部主観だろ
俺の謂いに対しておまいさんが納得しないなら、その程度の主観だってことだ
0048抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:34:04.0500049考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:34:15.000この時点で相対主義の厨房過ぎるわ。話にならん。
0050考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:34:57.380根拠が無い=楽観主義と見ているから、
全ての人は抄録にとって楽観主義なんだね。ふーん。
0051抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:39:50.920それはいいとしても私は真理主義だ
0053考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:42:46.040君は主観でしか物事を見ないから正確には「自分にとっての真理主義」だよね。
そんな自分にしか通用しない真理なんて他人に理解させることは出来ないよね。
君はここで何が言いたいのかな^−^
0055考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:44:51.920>それはいいとしても私は真理主義だ
真理とか掴み得ないことだという理解ができないのは消防並とは
思いませんか?
もしかして「俺真理」という解釈ですか?
それは貴方の正義にすぎないでしょう、感情論にすぎません。
0056考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:48:58.050誰かが知っているからといって、それを何故貴方が理解できる、
うぬぼれていませんか?
貴方には早過ぎるというより、自分の殻を他人に強制してませんか?
仮に!
貴方のいう「新しい道具」という類があるとすれば、馬の耳に念仏でしょう。
つまり私が知っていて詳しく説明しても貴方は100%頭から拒否するだけの
ことです。新しいものであるなら私が師匠で貴方は知識の下僕という立場で
なければ伝わるものも伝わることはおそらく困難で不可能の領域にあります。
0057考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:50:09.380こちらが何を示しても、君は主観でしか物事を見れないから納得出来る訳無いよね。
全部「それは貴方の主観だはい論破」で片付けられるからね。楽観主義っていいよね^^
0059考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:54:17.460>哲学も数学も全部主観だろ
数学は主観ではなく【架空の方程式】です。
数学で主観なの物事の定義であり定義が数学だというのは誇張しすぎでは?
0060抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:55:24.920なんというかな、
例えば貴方、カントでもヴィトゲンシュタインでもいいが、
奴らの言ってることが理解できますかね?
もし理解できないとして、それは著者が悪いのか、それとも貴方の頭が悪いのか?
0061抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:01:15.380○○主義ってのは、それを優先する立場だ、っつー表明だろ。
感情論とか外しすぎなんだよ
0064抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:06:23.860そんな見え透いた御託はどーでもええねん。
しかし私は聞く耳もってる方だと自惚れてたのだが
他人様から見るとそうでもないようだな
0065抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:12:05.760むしろ哲学こそ知らない。
その貴方の得意そうな数学とか自然科学とか、どの程度のものか
私を鏡に試してみれば楽しいかもしれんぜ
0066考える名無しさん
2012/07/31(火) 03:17:07.1900068考える名無しさん
2012/07/31(火) 03:19:48.3500069抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:24:03.920まとめてかかってこいw
0070考える名無しさん
2012/07/31(火) 04:41:19.730http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/
0071考える名無しさん
2012/07/31(火) 05:00:11.0100072飛べないカラス
2012/07/31(火) 08:26:13.080違いますよ。しかし名無しでの発言に一貫性求めてもこちらにはわからないからレスごとに
捉えるしかないです。
>>26
唯物論なら当然何でも物質論みたいになりますね。
>>28
確率論といえば以前に確率論で決定論を否定する話題があったのですが。
どうなったのでしょうね。
>>29
何でも力なら力を物質に言い換えれば唯物論になりますか。
>>39
仮に脳の化学反応から主観を説明したとしても、それも主観です。
0073考える名無しさん
2012/07/31(火) 09:41:42.850確率論と決定論はお互いに矛盾しない
サイコロが1〜6の出目を取り得ることと次の出目が5に決定しているかもしれないことは別問題
0074考える名無しさん
2012/07/31(火) 09:54:08.780『確率論といえば不確定性原理』
という思い込みでもあるんだろうね
0075ゲーム
2012/07/31(火) 10:22:52.370いえ、私のそれは唯“力”論ではありません。
こう述べたはずである。“力”は媒介された、と。
何が“力”を『無』へと媒介したかは知るよしもない、とも。
唯○論は、まだ語りえないというのが私見である。
抄録氏の唯物論も君のそれも主/客、あるいは心/物の二元構成になっている。
君たちが主張しているそれは唯物論ではなく、ごく常識的な二元論なのである。
0076抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 10:43:28.290私もこう申し上げたはずです
重大なのは、物質(素粒子)が自発的に作動するものである、そのことだと。
そうしなければ、物質に由来して意識が開闢するのに相性が悪いでしょう。
しかし貴方はそれを頭から認めず、二元論に貶めるのに躍起なのですよ。
0077ゲーム
2012/07/31(火) 11:26:15.970何もないところに『力』があった、というのは抄録氏の意見ですか? 曲解。
“無(何もない)”について私はこういっている。「力と時空の存在しないこと
である」と。力が“無”へと媒介されて始めて“有”が発祥する。ビッグバン、
素粒子、四つの力なんぞは、まだ先のお話です。w
抄録氏はビッグバンについて一切、語っていない。ビッグバンもツールかな?
この仮説に従うなら、そのさなかには差異がなく、一個の“塊”だったらしい。
一個の“塊”から差異(粒子)を生じたのは「力関係」のなせるワザである。
抄録氏が“根源”と崇める「素粒子」もその生成期から一貫して「力関係」の
なかにある。
物質の発生の由来を問うているのではない。それが何から生成されたのであれ、
そのためには“力”を必要とする、と述べているのである。“力”なしに存在は
不可能、といってもよい。ここに反論してくれればいいのです。
つまり“力”なしに物質が存在できることを論証してくれればよろしいのです。
0078抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 11:45:09.040そのゲームさんの言う「無」ってのは全くの「虚無」ってわけじゃあなさそうですよね。
なんせそこに「力」が媒介されるわけですから。
ゲームさんによれば、そこは無なんだけれども、既に物語りは始まっているわけです。
しかし何が力を媒介するのか、それは分からない、と。
さらにその「力」は、物質の構成を規定する力ですから、「自ずからの形式を既に持っている」訳でしょう?
であるなら、そのような煩雑な物語りにする必要があるんですかね?
いきなり無から物質が生じる、ってことにしても構わんのじゃあないですか。
「力」だけが特別・無条件にそのようなものであることが許される、その妥当性がよく分からない。
カラス君の固執する「因果律」なんてのは思考にとって絶対要請されるものじゃあなく、
経験則ですよ。「力」なんていう撃鉄なしに物質が生じても論理的な不都合は起こらないでしょう。
「論理的に不可能」というのは、「その謂いが理解不可能である」ということですよ。
力なしに存在は不可能かどうか、直接には答えられませんが、変化球的に答えてみます。
0079ゲーム
2012/07/31(火) 11:48:17.070素粒子の自発性? 素粒子は“意志”をもっているということ?
前レスでもいったと思うが、ご冗談を。
素粒子はエネルギー態としてあるか、質量を持つモノとしてあるか、のどちらか。
むろん、そのような存在様態を連中が自発的に選択したのではあるまい。w
必然的に、素粒子はエネルギーやモノの“理”に規定されて振る舞うしかない。
自明の理だろう。素粒子の自発性? なんのことですか。
0080ゲーム
2012/07/31(火) 12:04:29.840「無から、いきなり物質が生じる」のですか。それは奇跡ですね。
論証してくれ、とはいわないが、無から有を生じる蓋然性を語っていただきたい。
生成や変化や運動や関係するためには、いいかえると存在するためには“力”が必要。
無が何らの媒介なしに存在へと跳躍することはない。神なら可能だろうが。w
0081抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 12:10:38.860陽子になります。
この振る舞いに外部からの「力」とかは不要でしょう。
この振る舞いに於いては、中性子は自身が中性子であることを自ら示しているわけです。
「いや、そこに作用する力が分からないだけだ」とのラビ的反論は可能なんですがw、
しかしそれを言ってどうなる?と思うわけです。
物質の振る舞いには、「作用(=力)無しに、ただ時間だけが経過することによる変化、
そういった要素が必ずあります。諸行無常ですよ。その振る舞いを理解しようとするなら、
物質の振る舞いは自発的であることをどうしても認めなければならないように思います。
全レスでアブ氏が「時間」について言及してましたでしょ。その真意は私にはさっぱり分からんのですがw
「純粋な時間経過」という「力を必要としない影響」は確かにあるように思います。
0082抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 12:19:33.750経験則としては「奇跡」のように思えますよ。因果律を破壊しているわけですから。
しかし論理的には元来、「無から有を生じる」の方が妥当なんです。
なんとなればですね、「有に有が生じる」なんてことの方がおかしいんです。
「生じる」ってことは、無いところにしか生まれないんですよ。
ニワトリは、卵の無いところに卵を産むんです。
「それはニワトリがいたからだ」って反論は、因果律を優先するならそうですが
突然にして卵が生じても、ヒトはその事態を理解できるんです。
ビッグバン理論で、「宇宙は無から生まれた」とか言われるのは、
察するに、ビッグバン的な宇宙開闢にとっては因果律が邪魔なんです。
0083考える名無しさん
2012/07/31(火) 12:26:45.2400084考える名無しさん
2012/07/31(火) 12:31:04.4600086考える名無しさん
2012/07/31(火) 15:14:20.590形而上学的な「無」の概念を、ゲ−ム氏は、「力と時空の存在しないことである」と、
述べているが、この概念は、宇宙論又、素粒子物理学にも、あてはまるものでり、
「力(エネルギ−)は、主観的領域と客観的領域を、貫徹するもの」と述べている。
「物質」を含めたすべての事象は、主観的領域と客観的領域で、力(エネルギ−)の作用
により「有から有が生じる」こともあり、又、力の媒介により「無から有が生じる」ものと考えられる。
私も、同じ考えです。
0087ゲーム
2012/07/31(火) 18:02:48.430またまた、ご冗談を。
それは中性子がモノだからである。モノはそれ自体で“力”を内在しており、
現に爆弾をつくることもできる。たとえば抄録氏を単独で放置し、他からの
作用を一切排除しても、抄録氏はモノの“理”にしたがって何かに変化する
だろう。外部からの作用がなくても、モノは変化する。それはモノが“力”を
有するから、というよりも“力の様態”だからである。
無から有へ跳躍するとき、換言すれば“無”から時空・力が生成されるとき、
その“力”は外部から媒介される。卵は無から生じたりはしない。w
0088ゲーム
2012/07/31(火) 18:19:55.290これが当スレのもう一つのテーマである。w
モノの差異は力関係(の差異)の具現だろう。一塊でもよかったのに、
なぜ差異を生じたのか。何が“力”に差異線を引き、様々を様相を
現成せしめたのか。
0089考える名無しさん
2012/07/31(火) 18:36:32.140そらあキミ、その方が安定するからよ
或るエネルギーは安定するために取り合えず陽子という形を取った
だが、陽子単体だと今度は電磁力的にバランスが取れなくなってしまった
そこでそのへんに有ったエネルギーに電子という形をとってもらった
それだけの話、単なる役割分担
0090抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 18:48:39.020モノがそれ自体でその「(どこまでも仮想的な)力」とやらを“内在”しているとするなら
モノだけで十分じゃないですか。
0091考える名無しさん
2012/07/31(火) 19:39:55.8000092抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 19:49:59.900どちらかというと明鏡止水
まだ仕事をしてないから暇なんですよ。
ちょっと遊びすぎかね。
明日には仕事が来ると思うんですが。
すまんね、相手してもらって
0093考える名無しさん
2012/07/31(火) 21:09:46.030>「一塊でも良かったのに、何故、差異を生じさせたのか。何が「力」に差異線を
引き、様々な様相を現成せしめたのか」
この「力」が主観的領域と客観的領域を貫徹するものであり、この「力」の正体が、
解れば素粒子物理分野のみではなく、哲学の「主観と客観の分離」の謎をも、解明する
こととなると考えられる。
0094Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 21:33:48.620と、いうことは、MKS単位系においては、距離と質量と時間量のみが基本的
単位である。その三つの関係を考えると、距離と時間は、はじめに見たように、
密接な関係にあり、質量はまた微分的には他の二つと関係を持たない。
微分が、極小に置ける変化の様子を与えるものであることを考えれば、
距離と時間に密接な関係がありそれが変化することと、物質の質量が
変化しないことがその原因であると考えられる。時間と距離は量が考えられるが、
質は、空間にも時間にも存在しない。物質のみが質を持つ。空間と時間に量が
与えられるのは、物質の変化による。つまり、空間と時間(という概念?)を成り立たせるのは
物質であり、根源(質)が、物質である。
力によって物質が変化することを考えれば、物質の変化が力と等価であるということも
考えられ、力が根源であるとする考え方と、物質が根源であるとする考え方は、
時空との関係(関数?)で結ばれるとも考えられるのであり、両者は質の表れ方の
違いであるに過ぎないと考えるものである。
0095抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 21:51:58.1200096Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 21:53:34.090論理が世界を支配するのである。
0097Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 22:17:34.590迫真の勝負に、少しでも盛り上げることができたら、と思わず飛び込んだ行司です。
0098考える名無しさん
2012/07/31(火) 22:50:42.3900099考える名無しさん
2012/07/31(火) 23:08:02.87O必然の概念を理解してないな!
「必然」て、玉手箱以上だぜ。
0100Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 23:10:21.270可能性ではなく、不可能性が。
死についてはそれが言える。
ということは、不可能性にたいする態度を改めるべきだ。それが、信仰というような
世界に限定された話であっても。可能性と不可能性の両方が、それほどちがっては
いないということ。生あって死があり、死があって生が充実する。重要なのは、
可能性を限りなく開くことで、それを突き詰めれば不可能性も認めなければならない。
有と無は、補い合って、あるいは絡み合って存在すると思う。片方を消せば、片方が消える
(少なくとも、認識においては)。
まあ、偏見を除くといった、簡単な話に落ち着くけど。
0101考える名無しさん
2012/08/01(水) 05:33:12.580死とは言い換えれば、生きることができない状態、だ
死ぬことができないとは、生きることができる状態でしかない
義務教育からやり直した方がいいんじゃないか?
0102抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 08:46:19.900そういったあたりに思考の軸足があるのだろう。
生きることができない(=死)事態があり、それを認めることで生もまた輝くと。
確かにその立場はありなのだが
かつて、どこかの坊さんがラジオで
死など意識せずに日々を平気で生きること、それが肝要、
などと言ってるのを聞いて、なるほどそれもありだな、と感服した覚えもある。
w
0103抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 09:04:46.040ゲームさんは、モノに対して「力」が超越の関係にあると考えていると思ってましたが、
今度は「モノには力が内在する」とか言い出して、例の如くこちらを振り回すわけですw
超越も胡散臭いが、内在もまた便利すぎる。
しかし凡人である私にはその胡散臭さの正体は見えないわけですがw
平面幾何学に於いて、公理と公準は、そこから導出される帰結(定理とか)を全て「内在」しているだろうか。
DNAは、成長後の身体の組織、機能、生命活動を内在しているだろうか。
将来成立するだろう事態は全て過去に内在しているだろうか。
これを「内在している」とするとき、何か重大なものを見落としているように思えてならない。
w
0104ゲーム
2012/08/01(水) 09:50:25.040モノという存在者が抄録氏のいう“自発性”を持っていて、自ら静態化を選択
できるのなら、空間とモノからなる「世界」を現出しえたのではないか。
これでもなお二元的ではあるが、機械さんやカラス君のいう唯物論的(すべては
物質である)“世界”に似ていなくはない。
しかしモノは変化しつつ移動する。モノの変・移は“力”によって生じる。
“力”は流動する。その途上、それは様々な貌をみせる。その一つがモノである。
モノは“力”の一つの仮装なのだろう。
>>93
少し話をもどしますが、
伝聞によれば「初めに“無”があった。その“無”には『力』が潜勢されていた」
かのように記されている。
これは背理でしょう? この説を援用させてもらっていますが、うまく解けない。w
0105ゲーム
2012/08/01(水) 10:21:46.230リアリスト(俗物)なので、普通のことを語っているつもりです。w
ここにコップがある。本当は石くれのほうがいいのでしょうが、近くにないので。w
このコップには質量(エネルギー)がある。それを“力”と称しているだけ。
それはコッブ(石くれ)に「内在されている」というしかないでしょう。
“力”が物質を超越している、と述べたことはないと思うのだが。
「力は(たぶん)あらゆる存在者を貫徹しており、それらの変化、運動、因縁wは
力関係(の強弱)の発現である」とはいった記憶がある。
“力”が「無」へ、どのように媒介されるのか、ここが解けないと、突然、無から
卵が飛びだしたりしてしまう。w 結局、神様を招聘せざるをえなくなる。
0106考える名無しさん
2012/08/01(水) 12:30:36.550>「力」が、根源であるとする考え方と、「物質」が根源であるとする考え方は、
「質」の表れ方の、違いに過ぎない。
ここで述べている「質」とは、「質量」と違うものと思う。「質量」は、時間・空間
とは別の「有限領域」に存在するものと解釈出来る。 「力」と「物質」は、「質」の
表れ方に過ぎないと言う、この「質」とは、どの様な概念でしょうか。
0107考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:03:52.170>「力」は、あらゆる存在者(主観的存在と客観的存在)を貫徹しており、それらの変化、
運動、因縁(縁起)は、力関係の発現である。
ここで述べている「力」とは、「モノには力が内在する」と言う概念ではなく、あらゆる存在者を
貫徹する「力」と定義している。 従って、物質に「内在」するのではなく、精神(主観的領域)と
物質(客観的領域)を貫徹する、あらゆる存在の根源として「独立」したものと、私は解釈している。
0108Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 13:39:15.160“性質”などに使われる質のつもりで、つまり、量に実体を与えるもの、というような
意味でした。“質”は、単位と同一視できるとおもうのですが、物事の根源的
性格を付与するものというような意味で使いました。その時、時間と空間は質を持たない
のでただの概念であり、“質”を持つ物質が、なにか“ある”と言えるものだと考えました。
力がその現れであって、前スレにおいて、素粒子の交換によって力が生じ、
物質を作る素粒子と力を伝える素粒子が存在する、と指摘された方の意見を
参考としました。
0109考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:45:42.810エネルギーで良いならエネルギーと言うべきだし
別の概念あるいはエネルギーを内包する上位概念とでも主張その差異を明確にすべき
ああ、ひょっとして論破されにくい様にするために敢えて訳の分からない曖昧さにしてるのか?
哲学板なら議論に負けないことをじゃなくて真理に到達するのを目的にしろよ
0110考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:46:18.6400111考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:55:09.6700112Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 14:38:04.730概念と実態は違うと思うのですが、どうでしょう。たとえば、“数”の概念は、“量”の概念の
上位概念であると思いますが、数の実態(記号によって指示される現実)は必ずしも
量を含むものであるとは言い難いと。言葉の使用(文脈)と、概念と、実態という三者
を考えます。ある概念は当然他の概念とある部分を共有することもあるでしょうし、
その使用の方法が妥当でないと主張するなら、あなたの考える正しい使用を
例示するべきではないでしょうか。主張するならその差異を明確にすべきとおっしゃるのは
なんとなくわかります。しかし差異が存在しない主張どうしにおいて、差異を明確にせよ
というのはおかしいのじゃないでしょうか。あまり論戦に詳しくないため、その作法にも
詳しくないのです。しかし、妄想の否定は良くないことだと思います。否定する場合には、
相手の人格のせいにするのでなく、意見をよく見てそれを尊重して、対立意見なり
なんなりを提示するべきだと、僕は思うのですが。
0113考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:41:48.8601が存在せず、0が数として存在することはない。
1が存在するとは、すなわち、単位が存在することである。
単位は量の概念と不可分であり、数の概念だけ存在する
ことはない。それを見誤ったことに主流の数学および
数学の哲学の根本的な欠陥がある。
0114考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:57:28.5201つ1つを数えられることとは、すなわち、反復可能性であり、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動にほからなず、
円運動=単位である。
0115ゲーム
2012/08/01(水) 16:02:05.020少し前に「何がある(存在する)のか」「どのようにあるのか」「なぜあるのか」を
問うのが当スレの意義、と壮語したことがある。w
最初の「何が?」に対してはエネルギー、時空、意識と仮の答えを提出しておいた。
当初はエネルギーのほうが力よりも包括的に思えたからだが、エネルギーは質量に
変態?する。この両者を包含する概念として“力”を使っている。
ただ“時空”をうまく説明できない。時空は“力”の形相なのか。
伝聞をもとに想像するに“無”と称しているそれは「力」と「時空」が不在らしい。
さはさりながら、エネルギー(力)が潜勢しているかのニュアンスを払拭しきれない。
では、どこに潜っているのか。「時間なき空間」ではないのか、というのが私の空想。w
いわば負(マイナス)の存在として、力は“純・空間”化されている…
むろん下手な御伽話である。もっとリアルな“無”の解説があるはず。
0116ゲーム
2012/08/01(水) 16:08:12.350そうですね。こういうべきでした。
「モノとは“力”の流動が停滞した事態」と。
0117Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:19:06.450数学的な解析や幾何などほとんどわからないので、はっきりしたことは言えませんが、
円運動のみが反復可能性を持つという場合、時間と空間の均質性、すなわち、距離の
様相の等価性が、反復を可能にすると思えるのです。例えば、長方形を、中心を
原点に合わせて二次元座標に置いた場合、周縁をたどれば始まりと終わりはひとつの
ルートの上にあり、元に戻ることもある。しかし、それで反復運動といえるのは現実には
存在しない。円運動を成り立たせるものが、力であるからである。保存量というものが
大切だ。保存するものが1であって、反復可能ならそこには何かが保村されている
はずである。
0118Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:21:53.1900119考える名無しさん
2012/08/01(水) 16:43:14.840終わりが始まりであるとは、「いま、ここ」にいることに他ならず、
保存されているのは、常に変わらない「いま、ここ」である。
0120考える名無しさん
2012/08/01(水) 18:20:28.060必然は永遠に繰り返せばいつか必ずなると説明できるものでかなりの幅がある、
仕組みのように過程や手順をた正しく成せば必ず到達する類とは違う。
つまり短期間や希望する範囲では絶対に到達しないものも必然に含まれる。
0121考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:23:38.310故に自分で得た知ではないのに自分の知と表現する、実現し自分の物と成した
知であればいいが、実現には程遠い「知っている」だけの解釈をもって表現と
成せば凡人というより愚か者である。
0122考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:33:43.0000123考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:35:24.090今日もカッコイイこと言えて満足?
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