◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001考える名無しさん
2012/07/29(日) 10:08:49.090しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
0100Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 23:10:21.270可能性ではなく、不可能性が。
死についてはそれが言える。
ということは、不可能性にたいする態度を改めるべきだ。それが、信仰というような
世界に限定された話であっても。可能性と不可能性の両方が、それほどちがっては
いないということ。生あって死があり、死があって生が充実する。重要なのは、
可能性を限りなく開くことで、それを突き詰めれば不可能性も認めなければならない。
有と無は、補い合って、あるいは絡み合って存在すると思う。片方を消せば、片方が消える
(少なくとも、認識においては)。
まあ、偏見を除くといった、簡単な話に落ち着くけど。
0101考える名無しさん
2012/08/01(水) 05:33:12.580死とは言い換えれば、生きることができない状態、だ
死ぬことができないとは、生きることができる状態でしかない
義務教育からやり直した方がいいんじゃないか?
0102抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 08:46:19.900そういったあたりに思考の軸足があるのだろう。
生きることができない(=死)事態があり、それを認めることで生もまた輝くと。
確かにその立場はありなのだが
かつて、どこかの坊さんがラジオで
死など意識せずに日々を平気で生きること、それが肝要、
などと言ってるのを聞いて、なるほどそれもありだな、と感服した覚えもある。
w
0103抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 09:04:46.040ゲームさんは、モノに対して「力」が超越の関係にあると考えていると思ってましたが、
今度は「モノには力が内在する」とか言い出して、例の如くこちらを振り回すわけですw
超越も胡散臭いが、内在もまた便利すぎる。
しかし凡人である私にはその胡散臭さの正体は見えないわけですがw
平面幾何学に於いて、公理と公準は、そこから導出される帰結(定理とか)を全て「内在」しているだろうか。
DNAは、成長後の身体の組織、機能、生命活動を内在しているだろうか。
将来成立するだろう事態は全て過去に内在しているだろうか。
これを「内在している」とするとき、何か重大なものを見落としているように思えてならない。
w
0104ゲーム
2012/08/01(水) 09:50:25.040モノという存在者が抄録氏のいう“自発性”を持っていて、自ら静態化を選択
できるのなら、空間とモノからなる「世界」を現出しえたのではないか。
これでもなお二元的ではあるが、機械さんやカラス君のいう唯物論的(すべては
物質である)“世界”に似ていなくはない。
しかしモノは変化しつつ移動する。モノの変・移は“力”によって生じる。
“力”は流動する。その途上、それは様々な貌をみせる。その一つがモノである。
モノは“力”の一つの仮装なのだろう。
>>93
少し話をもどしますが、
伝聞によれば「初めに“無”があった。その“無”には『力』が潜勢されていた」
かのように記されている。
これは背理でしょう? この説を援用させてもらっていますが、うまく解けない。w
0105ゲーム
2012/08/01(水) 10:21:46.230リアリスト(俗物)なので、普通のことを語っているつもりです。w
ここにコップがある。本当は石くれのほうがいいのでしょうが、近くにないので。w
このコップには質量(エネルギー)がある。それを“力”と称しているだけ。
それはコッブ(石くれ)に「内在されている」というしかないでしょう。
“力”が物質を超越している、と述べたことはないと思うのだが。
「力は(たぶん)あらゆる存在者を貫徹しており、それらの変化、運動、因縁wは
力関係(の強弱)の発現である」とはいった記憶がある。
“力”が「無」へ、どのように媒介されるのか、ここが解けないと、突然、無から
卵が飛びだしたりしてしまう。w 結局、神様を招聘せざるをえなくなる。
0106考える名無しさん
2012/08/01(水) 12:30:36.550>「力」が、根源であるとする考え方と、「物質」が根源であるとする考え方は、
「質」の表れ方の、違いに過ぎない。
ここで述べている「質」とは、「質量」と違うものと思う。「質量」は、時間・空間
とは別の「有限領域」に存在するものと解釈出来る。 「力」と「物質」は、「質」の
表れ方に過ぎないと言う、この「質」とは、どの様な概念でしょうか。
0107考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:03:52.170>「力」は、あらゆる存在者(主観的存在と客観的存在)を貫徹しており、それらの変化、
運動、因縁(縁起)は、力関係の発現である。
ここで述べている「力」とは、「モノには力が内在する」と言う概念ではなく、あらゆる存在者を
貫徹する「力」と定義している。 従って、物質に「内在」するのではなく、精神(主観的領域)と
物質(客観的領域)を貫徹する、あらゆる存在の根源として「独立」したものと、私は解釈している。
0108Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 13:39:15.160“性質”などに使われる質のつもりで、つまり、量に実体を与えるもの、というような
意味でした。“質”は、単位と同一視できるとおもうのですが、物事の根源的
性格を付与するものというような意味で使いました。その時、時間と空間は質を持たない
のでただの概念であり、“質”を持つ物質が、なにか“ある”と言えるものだと考えました。
力がその現れであって、前スレにおいて、素粒子の交換によって力が生じ、
物質を作る素粒子と力を伝える素粒子が存在する、と指摘された方の意見を
参考としました。
0109考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:45:42.810エネルギーで良いならエネルギーと言うべきだし
別の概念あるいはエネルギーを内包する上位概念とでも主張その差異を明確にすべき
ああ、ひょっとして論破されにくい様にするために敢えて訳の分からない曖昧さにしてるのか?
哲学板なら議論に負けないことをじゃなくて真理に到達するのを目的にしろよ
0110考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:46:18.6400111考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:55:09.6700112Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 14:38:04.730概念と実態は違うと思うのですが、どうでしょう。たとえば、“数”の概念は、“量”の概念の
上位概念であると思いますが、数の実態(記号によって指示される現実)は必ずしも
量を含むものであるとは言い難いと。言葉の使用(文脈)と、概念と、実態という三者
を考えます。ある概念は当然他の概念とある部分を共有することもあるでしょうし、
その使用の方法が妥当でないと主張するなら、あなたの考える正しい使用を
例示するべきではないでしょうか。主張するならその差異を明確にすべきとおっしゃるのは
なんとなくわかります。しかし差異が存在しない主張どうしにおいて、差異を明確にせよ
というのはおかしいのじゃないでしょうか。あまり論戦に詳しくないため、その作法にも
詳しくないのです。しかし、妄想の否定は良くないことだと思います。否定する場合には、
相手の人格のせいにするのでなく、意見をよく見てそれを尊重して、対立意見なり
なんなりを提示するべきだと、僕は思うのですが。
0113考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:41:48.8601が存在せず、0が数として存在することはない。
1が存在するとは、すなわち、単位が存在することである。
単位は量の概念と不可分であり、数の概念だけ存在する
ことはない。それを見誤ったことに主流の数学および
数学の哲学の根本的な欠陥がある。
0114考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:57:28.5201つ1つを数えられることとは、すなわち、反復可能性であり、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動にほからなず、
円運動=単位である。
0115ゲーム
2012/08/01(水) 16:02:05.020少し前に「何がある(存在する)のか」「どのようにあるのか」「なぜあるのか」を
問うのが当スレの意義、と壮語したことがある。w
最初の「何が?」に対してはエネルギー、時空、意識と仮の答えを提出しておいた。
当初はエネルギーのほうが力よりも包括的に思えたからだが、エネルギーは質量に
変態?する。この両者を包含する概念として“力”を使っている。
ただ“時空”をうまく説明できない。時空は“力”の形相なのか。
伝聞をもとに想像するに“無”と称しているそれは「力」と「時空」が不在らしい。
さはさりながら、エネルギー(力)が潜勢しているかのニュアンスを払拭しきれない。
では、どこに潜っているのか。「時間なき空間」ではないのか、というのが私の空想。w
いわば負(マイナス)の存在として、力は“純・空間”化されている…
むろん下手な御伽話である。もっとリアルな“無”の解説があるはず。
0116ゲーム
2012/08/01(水) 16:08:12.350そうですね。こういうべきでした。
「モノとは“力”の流動が停滞した事態」と。
0117Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:19:06.450数学的な解析や幾何などほとんどわからないので、はっきりしたことは言えませんが、
円運動のみが反復可能性を持つという場合、時間と空間の均質性、すなわち、距離の
様相の等価性が、反復を可能にすると思えるのです。例えば、長方形を、中心を
原点に合わせて二次元座標に置いた場合、周縁をたどれば始まりと終わりはひとつの
ルートの上にあり、元に戻ることもある。しかし、それで反復運動といえるのは現実には
存在しない。円運動を成り立たせるものが、力であるからである。保存量というものが
大切だ。保存するものが1であって、反復可能ならそこには何かが保村されている
はずである。
0118Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:21:53.1900119考える名無しさん
2012/08/01(水) 16:43:14.840終わりが始まりであるとは、「いま、ここ」にいることに他ならず、
保存されているのは、常に変わらない「いま、ここ」である。
0120考える名無しさん
2012/08/01(水) 18:20:28.060必然は永遠に繰り返せばいつか必ずなると説明できるものでかなりの幅がある、
仕組みのように過程や手順をた正しく成せば必ず到達する類とは違う。
つまり短期間や希望する範囲では絶対に到達しないものも必然に含まれる。
0121考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:23:38.310故に自分で得た知ではないのに自分の知と表現する、実現し自分の物と成した
知であればいいが、実現には程遠い「知っている」だけの解釈をもって表現と
成せば凡人というより愚か者である。
0122考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:33:43.0000123考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:35:24.090今日もカッコイイこと言えて満足?
0124考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:37:00.9900125考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:43:21.460その醜悪さに気付かぬ者の言葉に誰が耳を傾けようか
0126考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:46:58.830>「力」が、「無」へ、どの様に媒介されるか、ここが解けないと突然、無から卵が、飛び出したりしてしまう。
「力」が無への媒介に対しての解釈は、二通りあると思います。一つは、主観的領域(精神)と客観的領域(物質)を
貫徹する「独立」した存在としての「力」と、捉えた場合に、「無」とは「力」の作用(貫徹)していない状態。
もう一方は、物質(客観的存在)に対して「力」の流動が停滞している状態を「無」と考える。又、時間・空間の概念は、
有限界領域(主観的領域)と私は解釈している。 いずれにしてもベルクソンが考えている様に「力(エネルギ−)」を
「独立」した存在として定義すべきかどうかは、現時点では、絶対的な確信を持っている訳ではない。
0127考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:47:33.740偉そうに説教ぶっても浅薄に見えるだけだぞ
他人に説教する前に、人並みに勉強せいや
0128考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:48:15.6100129考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:49:55.6200130考える名無しさん
2012/08/01(水) 21:25:11.6600131考える名無しさん
2012/08/01(水) 21:27:56.200これ知っておいたほうがいい
0132Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 22:04:10.550勉強なんて手段で目的じゃない。したい人間が必要な分だけすればいいのでは?
説教と感じたなら、そういう自分に文句を言えよ。
0134考える名無しさん
2012/08/02(木) 00:32:28.810「力」とは何?
都合よく力と言葉を表すのは簡単です。
力が分かっていない奴ほど力という言葉が大好きでその定義すらできない。
0135抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 00:45:47.430多彩に意味が成立できるので
このスレ的には向いているのかもしれぬ
0136抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 00:58:27.810私はその話はまるで分からないのだが、しかし私見では「力を要しない」のだと思われる。
一般相対論は、重力を「空間の幾何学的性質」に解消するわけです。
なのでこのとき空間を変容させるのは「力」ではない。
空間内部の質量移動によって空間は自己的に変容する。
ここんとここのスレで多用される「無」がいかなる意味で使われているのか、
これも私にはよく分からんのだが、無が虚無ではない「一様かつ平坦な全体」としての意味なら
その無の自己的変容によって、力は内発的に発生する。そのような解釈は恐らく可能なんだろう。
まあ、ポエムなわけだがw
0137考える名無しさん
2012/08/02(木) 01:21:05.7600138抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 01:24:50.0200139考える名無しさん
2012/08/02(木) 01:27:12.220ゆるーく行こうや
0140抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 01:54:47.870弾性体に“外部から静的に力を加えると”弾性変形して、内部に「応力」ってのが生じる。
つまりこの場合に、内部に力が発生するためには「外部からの力」が必要ってことになる。
ところがですね、この弾性体が最初から全体に振動していたとするとするでしょ。
このときに外部からの力が無くとも内部には変動する応力が生じることになる。
つまり「運動ありきで力が生み出される」ってことも可能なわけです。
物質が自発的に運動を強制されるものであるとするなら、力は後から付いてくる。
そんな理解は可能なんじゃないか。
そんなふうに思ってるわけだね、ぼかぁ。。。
0141考える名無しさん
2012/08/02(木) 03:21:21.650>そんな理解は可能なんじゃないか。
自己組織化のような原理をもってできた仕組みは理解できるものではない
何故なら状況によって全て違う仕組みになるからである。
例えば染色体が同じ一卵性双生児の指紋が同一になるのか?
答えはならない。環境が似ていれば類似はしても環境が恐ろしく違う場合は
恐ろしく違う指紋になる。
低次元な世界の秩序が理解できても高次なそれを理解できないのは当たり前のこと
理解できるなら精神世界も科学技術で説明しなされ。
0142考える名無しさん
2012/08/02(木) 07:09:13.750http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343843592/
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/08/02(木) 02:53:12.32 ID:W/z5eYLW0 ?PLT(12000) ポイント特典
同じ日本人として恥ずかしいは
適当君◆tekitou/AU ★
beポイント:12000
登録日:2012-05-16
みなさん知っていますか?
2012年5月16日に
FF11は10周年を迎えます
_ __| ̄|___
_| |__ | _人_ |
|__ | |__| (_) |_
/ / .∩(__)
/ \ |( ・∀・)_
|/|_|\| /| ヽ/
 ̄ ̄ ̄"∪
0143ゲーム
2012/08/02(木) 09:35:28.860また、ご冗談を。
空間を「幾何学的」に変容させる=時空を歪めるのは“質量”である。
あの先生が力(質量⇒エネルギー)抜きに宇宙(時空)を語ることはないのです。w
>>141
振動するのは、それがエネルギーを持っているから。振動は力の“発現”である。
ここでも抄録氏は、無から(力なしに)振動を惹起している。
それは神さまか手品師のなせるワザ。w
自発性と被・自発性(強制されること)の重ね合わせですか。w
どちらでいいい。喩えていうなら、抄録氏が自発的に何らかの行動に赴こうが、
強制されてそうしようが、そこには“力”の発動があるということだ。
一般的には、自発的のほうが強制されるよりも当人には、より多くの力が必要である。w
0144ゲーム
2012/08/02(木) 10:44:06.080『無』について屁理屈を弄しているのは“絶対・無”を回避したいから。
そこから卵や鳩を出現させようとすればw神さまか手品師を招くしかない。
「無が揺らいで宇宙が生まれた」という、この無は“絶対無=ゼロ”ではあるまい。
力、時空の全き不在から、神の手を借りずに、何かが生成されそうにはないからだ。
そこで、この“無”を不在(ゼロ)ではなく“負(マイナス)在”と仮称し(こじつけ)w
さらに妄想を膨らませ、そこには“時間なき空間”が「ある」とも述べた。
このあたりは支離滅裂でありwこれ以上の無駄話はやめるが、力は空間に由来する
らしい、とだけいっておく。時間が特別の意味を帯びるのは“意識”が発祥してから
ではないか。
0145抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 10:46:58.8300146Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/02(木) 17:43:29.750「絶対・無」とは、虚無というイメージでいいでしょうか。
無とは、あまりいい言葉ではないかもしれませんが(不、非との関連性を問われるため)、
0とは、それに至るのは、極限的操作によるわけです。一方、無限大も、極限的操作
による。すなわち、ゼロの周辺には、限りなくゼロに近い極小もあり、絶対のゼロの近辺に
ゼロから滑り出し易い(まさに、ゼロにおいて発散するグラフにおいては、ゼロの周辺で、極大の
変化を見せるわけです。すなわち、微分係数(グラフの傾き)が極大になる)。インフレーションが
起こるわけですが、それはこのように理論的に見やすい。すなわち、ゼロとは、虚無ではなく、
非常に動的なエネルギーであると。エネルギーの量は保存するらしいので、エネルギーのない
虚無ではなく、無とは、エネルギーを孕んだ、何がしかの世界であるのだと思います。極大
の方をみれば、宇宙の外が無であるなら、極大の大きさに宇宙が至るとすれば、極大の外が
存在しないから、宇宙の外は無であるという想像ができます。>>114氏のいうように、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動であるなら、宇宙の極大の外ではゼロと
接しており、原始における極小の宇宙は極大の大きさを内に秘めており、時間が反復により、
循環するわけです。時間の始まりと終わりが同一である。
結論として、私の宇宙観では、宇宙は永遠に膨張する。
これは観測と一致しないようなので、全部おじゃんになることもあるのですが。
0147考える名無しさん
2012/08/02(木) 19:40:51.600そして対象を観測できる主体があるかぎり完全無など観測できるわけがない。
主体という群れがそれ以外の群れに対して関係を持つことが力の根源である。
0148抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 20:24:03.860カラスくんも心強いでしょうw
0149ゲーム
2012/08/03(金) 09:54:57.380そう短絡的にならないように。w
“存在の始原”を妄想しているがw、そこは「たぶんに偶然性に支配されている」かの
ようにしかみえない。「無(私の言い方では負)が正(存在)へと揺らぐ」のは偶発的あり、
その揺らぎ方によって「宇宙」の概略が決まるとしても、それもまた偶然に介入される、
とみるのが妥当だろう。一意必然性に貫かれているとは到底、おもえない。
かつて抄録氏は(時空、物質が出揃ってからだろうが)「世界は動的秩序を持っている」
との発言をなさっていた。これは撤回されたのですか。もしそうでないのなら、詳述を
請う。
0150抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/03(金) 10:53:29.880「動的秩序」についてはいつぞや「もう言わない宣言」したと思う。
私が「動的秩序」とか言い出したのは、
「世界のありようはヒトの理解の仕方に依存する」とする観念論に対して
そのヒトって何?そして誰?貴方が生まれるまで世界は無かったの?
なんとすっとこどっこいなw、という思いから、それに対抗するキーワードとして
言い出したのです。
しかしほとんど何も言っていないのと同じようなものであるし、
いかように動的で、秩序とは具体的には何のことか曖昧でもあるし、
それらの意味を規定しようとすれば、「それはヒトによる規定なんだからヒトに帰属する」
なんて言い立てに対して反論が難しい。(なんですか『帰属』ってのは?)
カント先生は「ヒトの理性が無条件にそのように(カテゴリーたらなんたらの構造をして)あるのではない。」
ぐらいは考えてたと思うんですよ(知らんけど)。しかしそこには踏み込まなかった。
踏み込むとポエムになるし、また破綻してしまうから・・ですかね。
なので「ヒトの理性が、ヒトの論理が、・・」から『ヒト(への帰属)』を“気持ちよく解消(≠消去)”
できないことには「動的秩序がー」と大声出すのも恥ずかしくなったわけです。はっは
0151考える名無しさん
2012/08/03(金) 11:11:40.110つまり、「有(有限)」とは、「時間」を基として「空間」を構築した世界である。
反復すると、「有(有限)」と言う概念は、「時間」を基礎として構築された「形相(空間)」と
考えられる。そして、「時間」とは、人間が作り上げた一つの概念です。従って、人間の
主観的認識によって「時間概念」が、構築された領域を「有(有限世界)」=主観的存在と
定義される。 反復するが、「無(無限世界)」とは、「時間」と「空間」のない世界であり、
主観的存在(有)とは、対比の世界(客観的存在)が「無」と定義される。
0152抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/03(金) 11:27:04.810私はビッグバン理論が好きになれません。
ヒト(とその思惟)によって世界が規定できるなら、宇宙創成も規定できるんでしょう。
スモの言葉を借りるなら、「何も描かれていない絵」こそ見ることができるのかもしれない。
ヒトは空想力とか想像力によってSF的に日常(≒ヒトにより規定される世界)を宇宙に押し付け、
たいていの場合はそれで不都合ない、というかどこまでも空想なので問題ないだけなのですが
それら(日常的空想力とか想像力)を発動させることでまるですっとこどっこいなことになるのではないか。
宇宙創成なる事件があったとして(もうここで既に論理的に規定を開始してるわけですが)
それに対してはヒトによる規定こそ変容させる必要があるのではないか。
そのような恐れを感じる訳です。
私は宇宙人もいないだろうと思っています。いるかな。
0153考える名無しさん
2012/08/03(金) 11:41:07.120有限世界(主観的領域)の事であり、時間・空間のない「無(客観的領域)」の領域
では、動的秩序は存在しない偶然性の世界です。 必然性(有限世界)と偶然性(無限世界)の
相対する世界が実体と考えられる。
0154抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/03(金) 11:45:08.070どうしてそんなことが「考えられる」?
それを妥当だと思える根拠とは何かね?
そう考えることで何が解消する?
0155考える名無しさん
2012/08/03(金) 14:49:25.770根拠など作ればいい。
考えることで対象を創造し創造の力で呪縛された物は本質の違いを
浮き上がらせる。過去ばかり見ずに未来を成したらどうかね?
0156考える名無しさん
2012/08/03(金) 14:53:50.390> 「無」の定義を、「有(有限)」の解釈より導き出してはどうであろうか。
地平のはるか先も常に同じ次元のような性質であると誰が決めた?
あなたの前提は世界の理は常に同じ理屈が通じるという考えにすぎない。
果てではこの世の理が何も通じないからこそ果てに見えるのかもしれないのに。
0157考える名無しさん
2012/08/03(金) 15:03:41.970貴方のつくった根拠を披露してみて
0159考える名無しさん
2012/08/03(金) 19:34:33.05I結果論のなかにしか存在しない。
とおもうのですが、
決定論ってなんの意味があるとおいます?
遊議の遊具として以外に。
信じれば落ちつける宗教みたいなもんとか?
0160抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/03(金) 21:47:20.520そのような問いに対して蘊蓄とユーモアをもって答えてくれたスレ主が
消えてしまって久しいのです。
今となってはカラス氏のみがかろうじて決定論を擁護している。
0162考える名無しさん
2012/08/04(土) 00:29:06.27I決定論がないところに非決定論は存在しないから、
かもしれないがないところにそんなものはない。
思考という可能性、言葉の配列の組み替え可能性がそのような事態を可能としているが、
なんで決定論というかもしれないをわざわざ取り上げてあれこれ言ってるんだろう。
なにがどうだったらそうかもしれない、などと考えることにくらべて、
すべてがそうであるなどと決めつけ、しかもかもしれないから決してぬけ出せないことを主張したり信じたりすることは、
まったく意味がないと思う。
決定論こそが徒労じゃ。
そしてあの時こうしたらもっとよかったとか考えることは決定論ほど無駄ではない。
0163考える名無しさん
2012/08/04(土) 00:45:34.330えっと何言ってんの?
言葉に表すだけで、ソレを支持していると捉えられてしまうのか…?
0164考える名無しさん
2012/08/04(土) 02:20:12.300元々世界の捉え方には非決定論しか無かった(故にそれを指し示す言葉が必要無かった)
そこに決定論という新たな観点が生まれたことによって、非決定論という言葉も必要になり発生した
ちなみに決定論は人間の思考や迷い、苦悩を無意味とか否定的に捉える観点ではない
「それらさえ含めて」世界は決定的である、と捉えること。いちいち説明するのもアホらしいが
0165考える名無しさん
2012/08/04(土) 02:46:38.080人間に魂など無く、意思は物理に完全に従属的であり、特別視や神聖視する価値は無い
という蓋然性の高い結論を受け入れやすくなることすかね
0166考える名無しさん
2012/08/04(土) 05:01:47.1600167考える名無しさん
2012/08/04(土) 06:56:28.96Iそうそうだいたいそういうことがいいたかった。
>165
魂がなにかはしらないけど意識はあるし特別なものや神聖なものには価値がある。
意思による決定は決定論ほど虚しくないし無駄ではない。
決定論は言葉遊びだしいいわけくさい。
0168考える名無しさん
2012/08/04(土) 07:14:40.26I0169考える名無しさん
2012/08/04(土) 09:12:01.100このスレ立てる前に消えたのならスレ主って日本語おかしいぞ
単におなじ名前の別のスレが昔あって、そこを支配してたってだけだろ。
無名のスレに同じ名前がつくか否かで既存のスレかどうかを表面上人が区別しているにすぎない
0170抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/04(土) 09:48:59.740言いたいことは分かるよ
しかしな
名前が付いているのだから「無名のスレ」ではないし、(「無名のスレ」など存在しない)
「ある名前」のスレッドに集う書き手が大勢おり、
それと「同じ名前」が付くことで区別が可能であるが故に、書き手がそれを目印に書き込むことができる。
「表面上区別している」とか表現がゆるいんだよ。いかなる意味で表面上だ?
それでも貴方の言いたい心情はこちらも理解できるわけですよ。
論理的に整合するように言葉の不備を補っているからだ。
また
長期休暇中の機械的唯物論者氏をスレ主と呼ぶのは、彼に対する敬意を表しており
いつでも御帰還をお待ちしている、との思いからだが、
貴方が「日本語おかしい」と感じた、その理屈も分からなくもない。
しかしわざわざ言い争うほどのことだろうかな。
0171考える名無しさん
2012/08/04(土) 13:05:52.270両方説明できないのに意識だけは理解していると思い込む。
0172ゲーム
2012/08/04(土) 13:32:21.750絶対・無(ゼロ)は「ない」といっているのである。
俗に「無が揺れる」という、この“無”はゼロではなく、それよりも「小さい」
負(マイナス)という意味。それが正(存在)へとぶれるのは、それが“負の空間”
すなわち“負の力”だからである。力は流動する。
ゼロよりも小さい空間が力を有する、というところが御伽噺なのだが。w
>>170
機械氏が消えた理由をどう想像されていますか。悪趣味ながら以下…
@書き込むことの無意味さを悟った。A身体的に書き込めない状態に陥った。
B精神に異常が発生。C破産し、それどころではなくなった。
D何かの事情で拘束されている。Eご逝去された。
まだ、他にありましたら、お願いします。
上記の諸事情は重ね合わさっているのか。w
0173考える名無しさん
2012/08/04(土) 14:20:22.67I意識は生きてる感覚くらいの意味で使っています。
感覚的に解るでしょ?
あとなんかいいかえしたい気持ちしか伝わってこない。
0174考える名無しさん
2012/08/04(土) 14:37:18.170「魂」と呼ぶしかないような対象に、何か心当たりでもあるのですか?
0175考える名無しさん
2012/08/04(土) 14:48:41.09Iいやごめんなさいわかりませんでした。
0176考える名無しさん
2012/08/04(土) 15:05:54.63I魂が死ぬのかもわかりません。
死んだ人間に魂があるのかもわかりません。
死んだ人間に意識がないのは解りますが死んでないからわかりません。
意識があるとしたら魂にあるとおもいます。
魂に意識がないのでわかりません。
0177考える名無しさん
2012/08/04(土) 15:12:49.25I0178考える名無しさん
2012/08/04(土) 15:15:00.12I0179飛べないカラス
2012/08/04(土) 15:45:55.010唯意味論は違うのでしょうか。
>>78
因果律によらない思考はどんな思考でしょうか。
>>159
> 決定論は、かもしれないをこえられない。
> 結果論のなかにしか存在しない。
因果的決定論は原因が結果を決定するという論。結果だけをみているのでは無いです。
> 信じれば落ちつける宗教みたいなもんとか?
信じて落ち着くことが可能ならそれはそれで有用では?
決定論者と非決定論者で宗教で分かれて暮らしたらどうなるのだろう。
>>162
> そしてあの時こうしたらもっとよかったとか考えることは決定論ほど無駄ではない。
あの時こうしたらもっとよかったと考えることもすべて決定されているのです。
>>165
魂や意思の指す対象を定義するなら有用にもなり得ます。
0180Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/04(土) 17:25:32.620負から正へぶれるとき、ゼロを通らないとは僕は考えられないのですが。
ゼロよりも小さい空間というのは、はっきり言ってこれも僕には思考不能です。
0181抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/04(土) 18:24:38.950何年も前になりますが、名無しで「負の温度ってのがある。」なんて話を
久保亮吾の本からパクって書き込んだら、案の定、当時絶好調だったラビが食いついてきて
「そんなものはありません。馬鹿ですか。」なんて言われたことがありますが。
負の温度ってのは、マイナス273℃よりさらに低いってことでは「なく」、
ホーキングの虚数時間よろしくちょっとトリッキーな話であって、
磁性を持つ粒子系なんかに突然的な状況の変化を起こすと(磁場の逆転など)、
その系の温度は過渡的に負とするのが都合が良いってこと、らしいw。
この状況から系が平衡状態に移行する際に、温度は0Kを通過することなく、正のそれも高温に移行する。
そんな話があるようです。
私にはこれ以上“思考不能”な話で、もっと詳しくとか、分かりやすくとか、それは無理なので禁止。
ゲーム氏が言うごとく、自然は矛盾を孕んでいる、のかしら?w
それともヒトによる理解が矛盾を招くのか。。。(スモ氏どうなのよ?)
0182抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/04(土) 18:42:38.030機械さんは。。。。どうなんでしょうw
私がこのスレに来たときから、寝る前に一席ぶっておしまい
ってパターンでしたけど、晩年はw深夜の2時過ぎに書き込むってことも多かったですね。
私みたいな自由業という感じではなかったので、「明日、仕事大丈夫なのかな?」なんて
他人事ながら心配したりなんかしてたんですが。。
私よりは社会的地位もある人だと思うので(買い被りかw)、いまさらライン工をすることもないでしょうが。
機械さんが最後に書き込んだのは今年の2月で、まだ一年もブランクがあるわけではないので、
そのうちしれっと現れるかもしれない。
それまでこの主なき“無名のスレッド”が続いていればですがw
0183抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/04(土) 18:56:16.900>因果律によらない思考はどんな思考でしょう
そもそも因果律を支える思考ってどんなものだろう?
例えば、昨日なでしこがブラジルに勝った「原因」なんてありますか?
よく「あいつが球場に行ったから巨人が負けたんだ。」なんて話もあるけど
それってばかばかしいこと?それとも妥当なこと?
原因Aならば結果Bが完璧な精度で寸分の狂いもなく必ず起こる
そんなことって、例えば何か一つでもありますか?
それでも因果律ってのは経験則としては有効に思える。
それってどういうことなんでしょう。
因果律ってのは、自然の何を見てるんでしょう?
カラスさん、考えてください。
0184考える名無しさん
2012/08/04(土) 18:59:44.950だとすると結果は原因によって決定されるのだから、原因が生じる
前には決定されてないわけだ。で、原因はどうやって特定するの?
例えば福島の原子炉メルトダウンとか
0185考える名無しさん
2012/08/04(土) 19:07:07.4401+1(原因)=2(結果)は自明だが
2という解だけ見ても、それがどの様な数式から得られたのかは分からないではないか
0186考える名無しさん
2012/08/04(土) 19:16:54.190と断言できるのですか?原因がなければ、結果を結果として認識する
こともできないでしょう。2だけが存在するなら、それは解ではなく、
数の提示でしょう。
0187考える名無しさん
2012/08/04(土) 20:13:54.460xとyは自然数としてもこれらを特定することは不可能でしょう?
てか君は因果律を否定する人なん?
0188考える名無しさん
2012/08/04(土) 21:35:19.34O何が解なのか解るはずがない
知らない内に物理の法則に従っているだけかもしれない
0189考える名無しさん
2012/08/04(土) 21:39:02.300それは実証されたものであって、数学的に証明したものではない。
0190考える名無しさん
2012/08/04(土) 21:41:50.950> 魂否定してないですよ。それがなにかを私がしらないだけであって。
古代の歴史からいえばその逆が普通であった。例えばエジプトの考え方。
> 意識は生きてる感覚くらいの意味で使っています。
あなたが信じた意識の説明であって、貴方の知的構造が理解したと錯覚した類である。
> 感覚的に解るでしょ?
貴方とは違うので感覚が同じではない。
0191考える名無しさん
2012/08/04(土) 22:49:27.720支配されるけど、それは水槽の金魚が水槽に支配されると言っている
だけで水槽の中の動きは何も支配されていない。
水槽を海と例えなおして、金魚を人間にして人間が乗る宇宙船が天の川
銀河という中でと置きなおして考えてみればいい。
君が支配している類はあまりにも不確定で予想の付かないデタラメに
しか見えないわけだ。
0192草薙素子
2012/08/04(土) 23:09:29.7200193考える名無しさん
2012/08/05(日) 00:34:16.870ただの思想、もっと言えば観点に過ぎないと思う
楽観論や悲観論(慎重論)と同じ様に状況に合わせて都合良く使い分ければ
良いだけだと思うんだが、そんな風に考えてる人って案外少ない?
0194ネム
2012/08/05(日) 02:44:09.250どうって少し前にディラックの薄い本をよくわからず流し読みしたとこだわさ
まったく反物質なんて数学的解釈のふざけたネーミングじゃねーか
ここ最近ゼロと無に題する本をいくつか読んだが空を飛べるような発想は生まれてない
だから僕は何か期待に添えるようなおもしろいことが言えそうにない
だいたいほんともう追いていけないのよw
0195考える名無しさん
2012/08/05(日) 06:47:33.130実証とは違う、証明は定義とモデルを厳密に定義することで成立可能である。
決定論の思想ですら曖昧である。曖昧ゆえに証明する内容も曖昧になる。
0196考える名無しさん
2012/08/05(日) 07:11:39.73O哲学の役目は終ったという物理学者がいる
意識は宇宙空間のような多次元の世界と同じである
0197抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/05(日) 08:29:42.570おおネム氏、久しぶりであるw
数学なんていうほとんど形而上学みたいなもんを
どこまで目の前の自然に適用するのが肝要なのだろうな。
どんな偉い先生もその問いに答えを与えてくれない。
それは思弁的に解決するのか、トライアンドエラーしかないのか。
数学は制限なき道具なのか、それとも見えざる枷なのか。。。
貴方についていけない奴が全員だぞ。
またであるw
0198ゲーム
2012/08/05(日) 12:47:43.000「通過する」のではなく“飛び越える”のです。w
そこを通ろうとすれば、そこ(ゼロ=絶対無)に落ち込む。
一旦、そこ落ち込めば“何も存在しない”そこから這い上がる術(力)はなく、
もしこの“宇宙”がそこを通過したのなら“ここ”は存在しなかっただろう。
そこを跳越したから、ここが“存在”しているのでは?
負(マイナス)を加減乗除するのは、多少はできるでしょう?
ただし負に対応する対象を描出できないのは事実。w
しかし、具象できない対象は他に幾らでもあるのでは?
0199ゲーム
2012/08/05(日) 13:25:17.140このネム氏は、スモ氏のこと? ご本人に伺えばいいのでしょうが。w
もしスモ氏なら、彼は詩人でしょう?
もし私が詩人ならwwここで飛び交う抽象的な言辞(概念)を溶解する、
純粋に具象的な言葉を表出し、「科学」「哲学」的言説のスカスカな
胡散臭さを浮き彫りにするのだが。w
“数学”は、抽象的言辞の極北である。それによって記述された事象
だけが信用される。抄録氏ふうにいえば、よくできた“ツール”だ。
その限界はわかっている由だが、まだそれが“枷”といえるほどには
“存在”も“存在者”も解明されていないのではないか。
0200Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/05(日) 18:31:16.090飛び越える、のは、「何が」飛び越えるのでしょうか。具体的なイメージがわかないと、
僕はちょっと困ってしまいます。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています