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◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆

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0001考える名無しさん2012/07/29(日) 10:08:49.090
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。

◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
0002考える名無しさん2012/07/29(日) 16:45:06.17O
などと供述しており
0003考える名無しさん2012/07/29(日) 18:40:45.280
形而上学を理解できないものが決定論を絶賛する。
0004抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/29(日) 23:08:22.250
<なにが「差異、関係、変化、運動」を生じせしめるのか>〜そんなものは分からんのです〜

一般的な唯物論は物質が根源ですから、「物質のさらにその由来」なんかは問わない。
「なにが物質を生じせしめるのか」なんてことを言い出すときりがないわけです。
ところで、「ある特定の対象となる物質」の、その「性質」とはなんのことでしょう。
実際、物質の性質なるものは、質点の間の差異とか関係とか変化とか運動によって規定されてしまう。

であるなら、「自然は差異(などなど)ありき」であって、実在するのは差異であり、
「いわゆる物質」とは、
その「実在する差異」を感官が情報として受け取って、主観的表象として構成した幻、
なんて物語りも可能でしょう。
じゃあ、「差異(などなど)こそが自然の根源だ」として再構成すればいいじゃんw
てことになるわけですが、それでは元の木阿弥。ネガとポジを裏返しただけ。いやそれ以下。
なんとなればですね、差異なんてものは結局、「特性の強度=量」なんですよ。
仮にそれ(=差異云々)が“時空間に従い連続的に保存される”ならば、これは実体に化ける。
実体なんてものは結局、「実体という意味」であり、エネルギーと同様にツールなんですよ。
エネルギーは、それがエネルギーとしての意味が成立する範囲内(皆さんの言うところのカテゴリー?)
にあるならばエネルギーなんです。(※それが「世界が論理的である」ってことですw)
実体が真理なわけではなく、自然にあっては、その「実体という意味」が成立できること、
そのことが重大問題なんです。
0005抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/29(日) 23:09:24.740
簡単に言えばですね(ここだけで十分ですがw)、
質量なんてものは、形而上の世界に於いてですら「目は見えない」わけです。
形が無いわけです。(エネルギーもそうでしょう)
質量とは、観測される物体のある特性(の差異)から、思惟によって紡ぎ出された「実体」でしょう。
そして質量が質量として理解されたなら、質量ありきで世界を構成するのが便利だった、ってことでしょう。
それが便利であるのには構造的な理由があるのでしょうが、私にはそこまで考える頭が無いw
あるいは実体の意味にとっては、それが「保存されるなにものか」であるよりも
「粒子(またはその集合)」であることの方が思惟にとって優先されるのかもしれない。
あるいは両方なのか。。。

つづきは明日以降ニュートンの特集をちら読みしてから。
0006抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/29(日) 23:21:58.830
>前スレ992
あなたはオカルト君ではないのかな。。

貴方の言う「感じることで分かること」ってのは「錯覚」のことなのね。
そうすると、貴方の言っているのは「知ることは錯覚ではない」ということなのね?

あとですね、貴方の言う「定義できない存在」とは何だ?
とわたしは訊いているのですよ。
定義できないのだから「○○だ」とは言えないわね。(なので未来の事象だ、とも言えないでしょう)
しかし貴方はその存在に気付いたのでしょう。
どうやってそれに気付いたのだ、ってことを訊きたいのよ。
0007抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/29(日) 23:44:32.000
ラッダイト運動の話が出てましたけど、

先週までエアコンの製造ラインにいたんですが、
機械による完全自動化なんてのは現実的ではないように思いますね。
実際、組立ラインの機械化なんて、ここ数十年あまり進歩が無いと感じます。
ステレオタイプの大量生産が商売としては成立し難い時代なのかしら。
むしろ人の手をいかに有効に利用するか、にベクトルは向いているような。。。
0008抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/29(日) 23:46:09.840
ああ、忘れてました
>>1乙です。
0009考える名無しさん2012/07/30(月) 01:42:48.590
>>6
錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?
0010抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 02:16:02.270
>>9
いや私が訊いているのだよ

錯覚が幻であるときとはどんなとき?
錯覚が幻でないときとはどんなとき?
何を基準に貴方はそれを判断する?
0011考える名無しさん2012/07/30(月) 09:52:13.880
物質ばかりに目がいってるけど、正確には「脳は物質であり(生化学反応という)エネルギーの塊だから
意識は物理法則と同じで既に決定されている」になるんじゃないの。

>10
>何を基準に貴方はそれを判断する?

対象物が実在するかしないかでしょ。
0012考える名無しさん2012/07/30(月) 10:40:10.920
>>10
基準が無いものが後付で基準が整合したらどうなる?
0013抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 11:15:36.470
>>11
貴方の言う「幻」とは「実在しない」ということなのだね?
それならば、私が訊いているのは、
(錯覚された)対象物が実在するかしないかを貴方はどうやって判断するのか
ってことですよ。
それを言わない限り回答にはならないでしょう。
0014抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 11:18:04.030
>>12
「基準が無いものが後付けで基準が整合する」
んー・・・
それを満たすような例えばどんな状況が考えられますかね?
0015ゲーム2012/07/30(月) 12:57:50.760
>>4
差異、関係、変化、運動の由来を問わずに、そこに数“理”を当てて「よし」と
するのなら、このスレで云々しても意味がない。“物理”スレで精緻さを競うのが
常道だろう。それはそれで意味がある。が、ここは形而上学、いや本音をいえば
“神”学スレ。差異、関係…の由来に思惟をめぐらすところに醍醐味がある。w

差異、関係、変移が何によって生じるのか。それらが“無”から生じるのでないのなら、
そこに“働き”があることは否定できまい。その働きを“力”と呼んでいる。

仮に、その差異や関係、変移が「感官が情報として受けとって主観的表徴として構成
した幻」だとしても、幻を表出するためには“力”を必要する。私は“力”を主/客を
貫徹するベタな概念として用いている。

“物質”という存在者が「存在する」ためには、それが“無”を起源としていない
かぎり、差異、変化、運動、関係の産物だろう。つまり“働き”なしに「物質」が
陽の目をみることはなかっただろう。それ以降も常に、物質は“力”の圏域にある。
初めに“力”ありき、とは思わぬが、少なくとも“物質”には先行している。






0016ゲーム2012/07/30(月) 13:33:38.490
物質をはじめ存在者が存在するためには“力”を必要とする。
“力”は「事物が存在する条件」である。
では“力”を「非・存在(無)」へと媒介し、事物として存在せしめたのは何か。

しかし、その前に力=働きは規則に則っているかどうか。
「世界」は抄録氏のいう動的秩序として「ある」のか。


0017考える名無しさん2012/07/30(月) 15:39:30.330
>>16
「力」は「事物が存在する条件」である。「力」を「非・存在(無)」へと媒介し、
事物として存在せしめたのは何か。と、述べている。この文面から察すると、「力」は
「非・存在(無)」の領域へ入り、無から有が生じると解釈出来るが、ここで述べている
「非・存在(無)」とは、客観的存在のことでしょうか。又、この場合の「無」の概念は、
どの様なものでしょうか。

0018考える名無しさん2012/07/30(月) 16:05:46.460
>>15
「物質」の概念に対して、
>差異、関係、変移が何によって生じるのか
>それらが生じる働きを「力」と呼んでいる。
>私は「力」を主/客を貫徹するベタな概念として用いている。

私は、「力」を主/客を貫徹するベタな概念として用いている。と、
述べていますが、この「力」の概念に対して、ベルクソンは「観点にも記号にも
依存せず無媒介的に事物の内に入りうる持続的認識」と述べている。この「持続的認識」
としての「力」とゲ−ム氏の「力」とは同じ概念と思います。
0019飛べないカラス2012/07/30(月) 19:48:52.910
すべてを物質としたら次はすべてを物質(物質同士)の関係として説明してみよう。
時間軸の中に居る者が物質の関係を知る方法はある原因から結果がどうなったかを調べれば
いいのです。
0020飛べないカラス2012/07/30(月) 20:05:07.180
>>6
> 定義できないのだから「○○だ」とは言えないわね。(なので未来の事象だ、とも言えないでしょう)

では>>4のエネルギーの定義をプリーズ〜

>>7
> むしろ人の手をいかに有効に利用するか、にベクトルは向いているような。。。

これは緩やかなラッダイト運動ですね。
0021飛べないカラス2012/07/30(月) 20:14:25.750
>>15
では唯力論と唯物論の違いは何でしょう。
0022抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 20:17:44.030
>では>>4のエネルギーの定義をプリーズ〜

なんでそんなことをワシがせにゃならんのかね

>これは緩やかなラッダイト運動ですね。

ほー・・・・。
0023飛べないカラス2012/07/30(月) 20:23:48.890
「定義できない存在」〜
自分の書いたレスでした〜
0024抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 20:27:07.980
図書館まで行って雑誌のニュートンをちら読みしてきました。
正直、大した内容じゃあなかったですが。

先日来、ヒッグス粒子だろう粒子がが見つかった、とか騒いでますが
どうにも当事者のはしゃぎっぷりに違和感があるというか、感動しないというか
役にもたたん科学者の自慰行為に、あそこまでのべらぼうなおもちゃを与える必要が
果たしてあったんだろうか。。。

しかし一方でハヤブサの帰還には感動したりしたわけですがw
0025抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 20:34:11.800
>>23
ん?前スレで「定義できない存在」とか行ってた名無しさんはカラスさん?
それともその「自分」てのは私のこと?
0026抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 20:59:05.190
〜力は物質に先行するのか〜

結論から言えば、私は「しない」と見ます。
物理学の傾向としては、力を別のもの(≒幾何)に解消しようとしているように思えます(まあ、知らんのですが)。

質量も「ヒッグス粒子の海」の中に於ける物質の動きにくさに解消されつつあるでしょう。
すべては素粒子ありき。「時空間」の性質も素粒子の性質に解消されていくのではないですかね。
ここの重大なのは、素粒子は自発的に作動している、ってことです。

ちょっと前にゲームさんに絡んだ名無しさんが「死せる物質」云々と話をされてましたでしょ。
思うにこの「死せる物質」なる考え方には、ニュートンの慣性の法則も影響しているように思います。
止まった物体は外部から力が働かないかぎり動かない。死んだも同然というわけです。

しかし素粒子は外部からの作用(=力)が無くとも活動します。停止することは許されない。
作動する物質が集まって空間を形成し、その作動の総体として近似的にニュートンの運動法則に沿うのだとするなら
「力」とは、個々に作動する物質の集合である「物体の運動」を測るのに便利な概念、
ツールに格下げされる・・のではないかしら。

私の言うことも、カラス君よろしく「何でも物質論」になってきましたがw
0027ゲーム2012/07/30(月) 21:15:28.860
>>17
「無」は、その本質を「〜である」と規定できないでしょう。
したがって、その否定「〜でない」を幾つ重ねても“無”には届かない。
「〜でない」ではなく「〜がない」によって辛うじて“無”を仄めかせるかもしれぬ。

まず「時・空」がない。しきりに私が振りかざしてきたw「力」も不在である。
時・空と力が存在しなければ「無」といえるのではないか。

しかし、これは絶対・無ではないらしいのである。伝聞情報をもとに印象を述べるなら、
「ゼロ」ではなく「負(マイナス)」が“あった”らしい。
ゼロに落ち込まずに“マイナス”から“ブラス”に転じるためには“力”の作用を要する。
このとき時・空を発祥し、それは“力”とともに「存在」を支えている。
この“力”が何に由来し、何によって媒介されたのか、見当もつかない。(苦笑)

0028考える名無しさん2012/07/30(月) 21:43:01.310
決定されないのなら、どうやって決まったのか
それが確率論の問題点
0029ゲーム2012/07/30(月) 21:53:18.700
>>26
では、素朴に絡みましょう。
抄録氏のいう“素粒子”は俗にいう「ビッグバン」以降の話。
それが存在するときは、もう力と時・空の織りなす“世界”の基本はできている。

ビッグバンを否定しないのなら、ビッグバンは何によって生じたのか。
まさか「素粒子がそれを惹き起こした」とはいうまい。w
仮にビッグバンを否定するとして、では抄録氏が根源に定立する“素粒子”は
どのように生成されたのか。無から? 
何であれ、生じるためには“力”を要する。違う?

素粒子が自発的に活動? ご冗談を。素粒子はエネルギー態であるか、質量を
有している。それは“力”の別名であり、それらが動き続けるのは他と関係し
合うからである。それを可能にするのもまた“力”である。
他の力に一切、依存せずに存在できるとしたら、それは“神”である。
まさか素粒子が神だとはいわないでしょうね。w
0030考える名無しさん2012/07/30(月) 22:21:58.510
>10
主観なものは、それを認知したときにそうなる。
つまり両方認知すれば両方同時にも成立しえる。
0031考える名無しさん2012/07/30(月) 22:40:00.750
>>13
対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。

対象物があれば錯覚、無ければ幻なんだけどな^^;
対象物の有無によってそれらは区別されるんだけど、君は主体を錯覚or幻に求めているだけだよね?
0032抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 22:56:47.570
>>29
ゲーム氏の、その飽くなき「力への信仰」はいかなる情熱に依っているのか。

何もないところに「力」だけがあるってのは、どんな感じなんですかね。
貴方の考えるその「力」とやらは、虚無の中で空疎にその力を潜在させているわけですか?
そんなものが「力」と言えますかね?「力」の大安売りに過ぎませんかね。

物質の発生の由来など私には分かりません。
しかし力が物質に先行する道理など、特に無いように思う。
なんでも、力(自然界の4つの力)は素粒子(光子とか中間子とか)の交換によって生じる
ってのが今の物理学界の大勢らしいですぜ。素粒子ありきでしょ。
0033抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 23:03:08.170
>>30
んー
「それを認知したとき」の「それ」ってのは何です?
「そうなる」とは「どうなる」ってこと?
0034抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/30(月) 23:16:58.720
>>31
いや「錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?」
とかレスされて、私としては「この人は唐突に何を言っているのかな?」
と思ってるわけですよ。

「定義できない存在」とは何ですか?との私の問いに対して
「錯覚と幻(の差異)」がどう対応するのですかね?

あと、絡むならハンドルネーム付けて欲しい。ステハンでいいので。
0035大真空界皇帝ハーデス ◆FZrNe5pDrY 2012/07/31(火) 00:00:05.200
結局>>1が言ってるのって、消去主義を言い換えただけだろ?
確かに消去主義はExplanatory gapを持ち出せば反駁は難しいが、
>>1及びその後の議論は消去主義の議論の範疇を出ないと思うのだが是如何?
0036考える名無しさん2012/07/31(火) 00:32:41.830
>>33
錯覚した対象。対象であるかも不明、
脳内で生み出した何か。
そうなるとは「幻である」という状態になること。

0037考える名無しさん2012/07/31(火) 00:34:32.880
>>34
あなたはIDが無いからそう見えたのかもね。
ヒント、その発言は私ではない。
0038抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 00:42:56.170
>>35
ああ、面白そう
消去主義(なんぞそれ)の範疇を出ないとして、どうすりゃいいと思います?
0039大真空界皇帝ハーデス ◆FZrNe5pDrY 2012/07/31(火) 01:04:29.450
>>38
物質世界と人間が知覚する世界のギャップは埋められていない。
理由は、脳の化学反応から主観を説明するメカニズムが未だ解明されてないから。
それはパンドラの箱であり、解明されたら人類が滅亡する危機さえある。
拠って現在の人間がなし得るのは、物質的な説明と主観的(語彙に拠る)な説明を異なった語彙ですることだけ。
要は、「語り方」「いかに賛同を得るか」ということに終局する。それが言葉であり、文学であり、哲学の全て。
0040抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 01:21:15.320
>>36>>37
まとめると、
「錯覚した対象(であるかも不明な脳内現象)」を認知した時に幻となる
ってことで良いですかね。

で、貴方は「定義できない存在」云々と言っている人とは関係ない人なわけだ。

それならあらためて貴方に答えるとですね
>錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?

いや思ってませんよ。
認識はそれ自体、存在を映したものかどうか分かりませんよね。
なので「意識によって構成される世界は全て錯覚」なんて謂いが可能なわけです。
そう考える時、どこまでも錯覚によって構成されてしまう世界に於いて、
貴方の言う「対象物が幻ではない(≒対象物が存在する)」と言う際に
貴方はどうやってそれを判断できるのか、てなことを問うたわけです。

それに対して「存在するかどうかによって判断する」と答えるならば、
存在を知っている神だけがそれを判断できる、ってことですね。
それとも「存在するかどうかは存在するかどうかによって判断する」とかいうナンセンス?
0041抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 01:40:05.900
>>39
人類が滅亡するかどうかは知らんがw
しかしこれはメカニズムの問題ではなく、原理的な問題だと思うね。

物質世界は思惟によって構成されていると考えられるので
本来的に思惟は物理によって説明できない可能性が圧倒的に高い。

さらには「瞬間」によってがちがちに状態が固定される物理的物質によってでは
瞬間を超越して活動する思惟を説明する方法論が無い。

あとは、専ら局所因果的な説明しかしない物理によっては、
空間的に広がりを持つ脳に於ける意識の統一性を説明する方法が無い。

こんなところだろ。

文学じゃねーよ。
0042考える名無しさん2012/07/31(火) 02:01:32.160
それはあくまで「今の物理」ね。
どんどん拡張されていくのが学問。
ニュートンの微積が世界の記述を変えたように、次なる科学の道具が新しい世界を見せてくれる
0043抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:03:38.640
好きだぞその根拠なき楽観主義
早く見せてくれ
俺が生きているうちにw
0044考える名無しさん2012/07/31(火) 02:13:21.890
>>43
根拠があっても根拠が成立すると証明できるの?
できないだろwwww
完全に証明できる類は数学的に行う必要があり、数学的な証明は
数学のモデルであって現実ではない。
0045考える名無しさん2012/07/31(火) 02:14:33.200
>物質世界は思惟によって構成されていると考えられるので

これは根拠が主観だよね。根拠が無いと言ってもいいよね。楽観主義だよね^−^
0046抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:28:01.400
>>44
現実に無いんだから無いと言ってんだよ
あり得ないとまでは言ってねえよ
数学的証明とか、話がすっとこどっこいなんだよ

>>45
哲学も数学も全部主観だろ
俺の謂いに対しておまいさんが納得しないなら、その程度の主観だってことだ
0047考える名無しさん2012/07/31(火) 02:32:51.340
>>46
じゃあこれは何?褒め言葉?

>好きだぞその根拠なき楽観主義
0048抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:34:04.050
好きなように捉えたまえよ
0049考える名無しさん2012/07/31(火) 02:34:15.000
>哲学も数学も全部主観だろ

この時点で相対主義の厨房過ぎるわ。話にならん。
0050考える名無しさん2012/07/31(火) 02:34:57.380
全部主観、全部根拠が無いとしているし、
根拠が無い=楽観主義と見ているから、
全ての人は抄録にとって楽観主義なんだね。ふーん。
0051抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:39:50.920
相対主義は厨房なのか・・

それはいいとしても私は真理主義だ
0052考える名無しさん2012/07/31(火) 02:42:06.710
>>46
>現実に無いんだから無いと言ってんだよ
それはあなたの現実でしょ。俺定義しちゃダメですよ。
0053考える名無しさん2012/07/31(火) 02:42:46.040
>>51
君は主観でしか物事を見ないから正確には「自分にとっての真理主義」だよね。
そんな自分にしか通用しない真理なんて他人に理解させることは出来ないよね。
君はここで何が言いたいのかな^−^
0054抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:44:21.290
>>52
だったら早く見せてくれよ、その「新しい道具」とやらをさ
貴方は知ってるんだろう?
0055考える名無しさん2012/07/31(火) 02:44:51.920
>>51
>それはいいとしても私は真理主義だ
真理とか掴み得ないことだという理解ができないのは消防並とは
思いませんか?

もしかして「俺真理」という解釈ですか?
それは貴方の正義にすぎないでしょう、感情論にすぎません。
0056考える名無しさん2012/07/31(火) 02:48:58.050
>>54
誰かが知っているからといって、それを何故貴方が理解できる、
うぬぼれていませんか?

貴方には早過ぎるというより、自分の殻を他人に強制してませんか?
仮に!
貴方のいう「新しい道具」という類があるとすれば、馬の耳に念仏でしょう。
つまり私が知っていて詳しく説明しても貴方は100%頭から拒否するだけの
ことです。新しいものであるなら私が師匠で貴方は知識の下僕という立場で
なければ伝わるものも伝わることはおそらく困難で不可能の領域にあります。
0057考える名無しさん2012/07/31(火) 02:50:09.380
>>55
こちらが何を示しても、君は主観でしか物事を見れないから納得出来る訳無いよね。
全部「それは貴方の主観だはい論破」で片付けられるからね。楽観主義っていいよね^^
0058考える名無しさん2012/07/31(火) 02:50:59.870
アンカーミスった>>55>>54
0059考える名無しさん2012/07/31(火) 02:54:17.460
>>46
>哲学も数学も全部主観だろ
数学は主観ではなく【架空の方程式】です。
数学で主観なの物事の定義であり定義が数学だというのは誇張しすぎでは?
0060抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 02:55:24.920
>>53
なんというかな、
例えば貴方、カントでもヴィトゲンシュタインでもいいが、
奴らの言ってることが理解できますかね?
もし理解できないとして、それは著者が悪いのか、それとも貴方の頭が悪いのか?
0061抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 03:01:15.380
>>55
○○主義ってのは、それを優先する立場だ、っつー表明だろ。
感情論とか外しすぎなんだよ
0062考える名無しさん2012/07/31(火) 03:01:46.090
>>60
横だけど、あなた哲学以外は何も知らないでしょ
もちろん数学も自然科学知らない
0063考える名無しさん2012/07/31(火) 03:04:26.830
>>61
ですます口調から離れていってるのは余裕が無くなったってこと?
0064抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 03:06:23.860
>>56
そんな見え透いた御託はどーでもええねん。

しかし私は聞く耳もってる方だと自惚れてたのだが
他人様から見るとそうでもないようだな
0065抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 03:12:05.760
>>62
むしろ哲学こそ知らない。
その貴方の得意そうな数学とか自然科学とか、どの程度のものか
私を鏡に試してみれば楽しいかもしれんぜ
0066考える名無しさん2012/07/31(火) 03:17:07.190
ニュートンってそんな立派な雑誌だったっけ…
0067抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 03:18:38.040
>>63
余裕なんざ最初からありゃしねえよ
おまいさんら、そんなことが気になってしょーがねーんだな
0068考える名無しさん2012/07/31(火) 03:19:48.350
雑誌ニュートンwww
0069抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 03:24:03.920
ニュートン舐めんなよ

まとめてかかってこいw
0070考える名無しさん2012/07/31(火) 04:41:19.730
ここ見て勉強するといいよ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/
0071考える名無しさん2012/07/31(火) 05:00:11.010
自分が勉強すればいいのに
0072飛べないカラス2012/07/31(火) 08:26:13.080
>>25
違いますよ。しかし名無しでの発言に一貫性求めてもこちらにはわからないからレスごとに
捉えるしかないです。

>>26
唯物論なら当然何でも物質論みたいになりますね。

>>28
確率論といえば以前に確率論で決定論を否定する話題があったのですが。
どうなったのでしょうね。

>>29
何でも力なら力を物質に言い換えれば唯物論になりますか。

>>39
仮に脳の化学反応から主観を説明したとしても、それも主観です。
0073考える名無しさん2012/07/31(火) 09:41:42.850
>>72
確率論と決定論はお互いに矛盾しない

サイコロが1〜6の出目を取り得ることと次の出目が5に決定しているかもしれないことは別問題
0074考える名無しさん2012/07/31(火) 09:54:08.780
おそらく
『確率論といえば不確定性原理』
という思い込みでもあるんだろうね
0075ゲーム2012/07/31(火) 10:22:52.370
>>72
いえ、私のそれは唯“力”論ではありません。
こう述べたはずである。“力”は媒介された、と。
何が“力”を『無』へと媒介したかは知るよしもない、とも。
唯○論は、まだ語りえないというのが私見である。
抄録氏の唯物論も君のそれも主/客、あるいは心/物の二元構成になっている。
君たちが主張しているそれは唯物論ではなく、ごく常識的な二元論なのである。
0076抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 10:43:28.290
>>75
私もこう申し上げたはずです
重大なのは、物質(素粒子)が自発的に作動するものである、そのことだと。
そうしなければ、物質に由来して意識が開闢するのに相性が悪いでしょう。
しかし貴方はそれを頭から認めず、二元論に貶めるのに躍起なのですよ。
0077ゲーム2012/07/31(火) 11:26:15.970
>>32
何もないところに『力』があった、というのは抄録氏の意見ですか? 曲解。
“無(何もない)”について私はこういっている。「力と時空の存在しないこと
である」と。力が“無”へと媒介されて始めて“有”が発祥する。ビッグバン、
素粒子、四つの力なんぞは、まだ先のお話です。w

抄録氏はビッグバンについて一切、語っていない。ビッグバンもツールかな?
この仮説に従うなら、そのさなかには差異がなく、一個の“塊”だったらしい。
一個の“塊”から差異(粒子)を生じたのは「力関係」のなせるワザである。
抄録氏が“根源”と崇める「素粒子」もその生成期から一貫して「力関係」の
なかにある。

物質の発生の由来を問うているのではない。それが何から生成されたのであれ、
そのためには“力”を必要とする、と述べているのである。“力”なしに存在は
不可能、といってもよい。ここに反論してくれればいいのです。
つまり“力”なしに物質が存在できることを論証してくれればよろしいのです。




0078抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 11:45:09.040
・・・よく分からんのですが
そのゲームさんの言う「無」ってのは全くの「虚無」ってわけじゃあなさそうですよね。
なんせそこに「力」が媒介されるわけですから。
ゲームさんによれば、そこは無なんだけれども、既に物語りは始まっているわけです。
しかし何が力を媒介するのか、それは分からない、と。
さらにその「力」は、物質の構成を規定する力ですから、「自ずからの形式を既に持っている」訳でしょう?
であるなら、そのような煩雑な物語りにする必要があるんですかね?
いきなり無から物質が生じる、ってことにしても構わんのじゃあないですか。
「力」だけが特別・無条件にそのようなものであることが許される、その妥当性がよく分からない。

カラス君の固執する「因果律」なんてのは思考にとって絶対要請されるものじゃあなく、
経験則ですよ。「力」なんていう撃鉄なしに物質が生じても論理的な不都合は起こらないでしょう。
「論理的に不可能」というのは、「その謂いが理解不可能である」ということですよ。

力なしに存在は不可能かどうか、直接には答えられませんが、変化球的に答えてみます。
0079ゲーム2012/07/31(火) 11:48:17.070
>>76
素粒子の自発性? 素粒子は“意志”をもっているということ?
前レスでもいったと思うが、ご冗談を。

素粒子はエネルギー態としてあるか、質量を持つモノとしてあるか、のどちらか。
むろん、そのような存在様態を連中が自発的に選択したのではあるまい。w
必然的に、素粒子はエネルギーやモノの“理”に規定されて振る舞うしかない。
自明の理だろう。素粒子の自発性? なんのことですか。

0080ゲーム2012/07/31(火) 12:04:29.840
>>78
「無から、いきなり物質が生じる」のですか。それは奇跡ですね。
論証してくれ、とはいわないが、無から有を生じる蓋然性を語っていただきたい。

生成や変化や運動や関係するためには、いいかえると存在するためには“力”が必要。
無が何らの媒介なしに存在へと跳躍することはない。神なら可能だろうが。w
0081抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 12:10:38.860
例えばですね、中性子を単独で放置すると、平均900秒くらいで電子線とニュートリノを放出して
陽子になります。
この振る舞いに外部からの「力」とかは不要でしょう。
この振る舞いに於いては、中性子は自身が中性子であることを自ら示しているわけです。

「いや、そこに作用する力が分からないだけだ」とのラビ的反論は可能なんですがw、
しかしそれを言ってどうなる?と思うわけです。

物質の振る舞いには、「作用(=力)無しに、ただ時間だけが経過することによる変化、
そういった要素が必ずあります。諸行無常ですよ。その振る舞いを理解しようとするなら、
物質の振る舞いは自発的であることをどうしても認めなければならないように思います。
全レスでアブ氏が「時間」について言及してましたでしょ。その真意は私にはさっぱり分からんのですがw
「純粋な時間経過」という「力を必要としない影響」は確かにあるように思います。
0082抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 12:19:33.750
>>80
経験則としては「奇跡」のように思えますよ。因果律を破壊しているわけですから。
しかし論理的には元来、「無から有を生じる」の方が妥当なんです。
なんとなればですね、「有に有が生じる」なんてことの方がおかしいんです。
「生じる」ってことは、無いところにしか生まれないんですよ。
ニワトリは、卵の無いところに卵を産むんです。
「それはニワトリがいたからだ」って反論は、因果律を優先するならそうですが
突然にして卵が生じても、ヒトはその事態を理解できるんです。

ビッグバン理論で、「宇宙は無から生まれた」とか言われるのは、
察するに、ビッグバン的な宇宙開闢にとっては因果律が邪魔なんです。
0083考える名無しさん2012/07/31(火) 12:26:45.240
宇宙論で比喩的に言われるところの「無」を、形而上学的な意味と誤解している人が 非 常 に 多い
0084考える名無しさん2012/07/31(火) 12:31:04.460
形而下の無なんてあるの?
0085考える名無しさん2012/07/31(火) 12:54:08.880
>>80
その「力」ってさ、偽の真空や真の真空にあると思われている真空エネルギーとどう違うの?
0086考える名無しさん2012/07/31(火) 15:14:20.590
>>83
形而上学的な「無」の概念を、ゲ−ム氏は、「力と時空の存在しないことである」と、
述べているが、この概念は、宇宙論又、素粒子物理学にも、あてはまるものでり、
「力(エネルギ−)は、主観的領域と客観的領域を、貫徹するもの」と述べている。

「物質」を含めたすべての事象は、主観的領域と客観的領域で、力(エネルギ−)の作用
により「有から有が生じる」こともあり、又、力の媒介により「無から有が生じる」ものと考えられる。

私も、同じ考えです。
0087ゲーム2012/07/31(火) 18:02:48.430
>>81
またまた、ご冗談を。
それは中性子がモノだからである。モノはそれ自体で“力”を内在しており、
現に爆弾をつくることもできる。たとえば抄録氏を単独で放置し、他からの
作用を一切排除しても、抄録氏はモノの“理”にしたがって何かに変化する
だろう。外部からの作用がなくても、モノは変化する。それはモノが“力”を
有するから、というよりも“力の様態”だからである。

無から有へ跳躍するとき、換言すれば“無”から時空・力が生成されるとき、
その“力”は外部から媒介される。卵は無から生じたりはしない。w

0088ゲーム2012/07/31(火) 18:19:55.290
中性子、陽子、電子などの“差異”は何によって(なぜ)生じたのか。
これが当スレのもう一つのテーマである。w

モノの差異は力関係(の差異)の具現だろう。一塊でもよかったのに、
なぜ差異を生じたのか。何が“力”に差異線を引き、様々を様相を
現成せしめたのか。


0089考える名無しさん2012/07/31(火) 18:36:32.140
>>88
そらあキミ、その方が安定するからよ
或るエネルギーは安定するために取り合えず陽子という形を取った
だが、陽子単体だと今度は電磁力的にバランスが取れなくなってしまった
そこでそのへんに有ったエネルギーに電子という形をとってもらった
それだけの話、単なる役割分担
0090抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 18:48:39.020
>>87
モノがそれ自体でその「(どこまでも仮想的な)力」とやらを“内在”しているとするなら
モノだけで十分じゃないですか。
0091考える名無しさん2012/07/31(火) 19:39:55.800
抄録あれているね。なにムカムカしているの?
0092抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 19:49:59.900
ぜんぜん荒れてない
どちらかというと明鏡止水
まだ仕事をしてないから暇なんですよ。
ちょっと遊びすぎかね。
明日には仕事が来ると思うんですが。
すまんね、相手してもらって
0093考える名無しさん2012/07/31(火) 21:09:46.030
>>88
>「一塊でも良かったのに、何故、差異を生じさせたのか。何が「力」に差異線を
引き、様々な様相を現成せしめたのか」

この「力」が主観的領域と客観的領域を貫徹するものであり、この「力」の正体が、
解れば素粒子物理分野のみではなく、哲学の「主観と客観の分離」の謎をも、解明する
こととなると考えられる。
0094Absalom ◆owNN8RDlXo 2012/07/31(火) 21:33:48.620
距離の時間あたりの変化が速度である。速度の時間当たりの変化が加速度である。
と、いうことは、MKS単位系においては、距離と質量と時間量のみが基本的
単位である。その三つの関係を考えると、距離と時間は、はじめに見たように、
密接な関係にあり、質量はまた微分的には他の二つと関係を持たない。
微分が、極小に置ける変化の様子を与えるものであることを考えれば、
距離と時間に密接な関係がありそれが変化することと、物質の質量が
変化しないことがその原因であると考えられる。時間と距離は量が考えられるが、
質は、空間にも時間にも存在しない。物質のみが質を持つ。空間と時間に量が
与えられるのは、物質の変化による。つまり、空間と時間(という概念?)を成り立たせるのは
物質であり、根源(質)が、物質である。
力によって物質が変化することを考えれば、物質の変化が力と等価であるということも
考えられ、力が根源であるとする考え方と、物質が根源であるとする考え方は、
時空との関係(関数?)で結ばれるとも考えられるのであり、両者は質の表れ方の
違いであるに過ぎないと考えるものである。
0095抄録 ◆xOLbFG9QNU 2012/07/31(火) 21:51:58.120
行司さん現る
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