ここで問題とするなら、「書き言葉」が低下していると思うのです。
他の人と会話している時に使っている「書き言葉」ということです。

「人と会話している」時に使う「書き言葉」と言うのは、矛盾してるかもしれませんが、
文章を書く時に使う言葉を、会話する時に使う と言う意味です。

例えば、 『一般的に敷衍して考える』 と聞いた時、 たいていの人なら、
その漢字言葉が 頭に思い浮かびません。『一般的』でしたら、なんとか理解できますが、
『敷衍する』と言われましたら、「それって 何? どういうこと?」となってしまいます。

このような抽象的な漢字熟語の理解能力が、弱くなっているのでは? と思います。

ある人がしゃべっている時、途中で『もっと建設的な意見で言いますと・・・』と話されたのですが、
すると聞いていた相手の方から、『急に建築の話をしないで下さい』と言い返されたらしいです。

このように漢字熟語の「書き言葉」が、日常的会話から薄らいで来ているのではないでしょうか?

「書き言葉」とは、日常的な「話し言葉」より、言葉の中に含まれる「情報量」は凝縮していると思うのですが、
『情報の含有が多い』漢字熟語などは、聞き手(読み手)が、その言葉の理解力が薄くなっていれば、どうしようもありません。

このような原因は、やはり読書量の低下と密接な関係があると思います。
「読書は何のために必要か?」を考えた時、「必要とされる語彙が圧倒的に多いことでは?」と思うのです。

普段の日常会話で使っている言葉は、『広辞苑』に載っている言葉の5%以下くらいしか使ってなくて、
それでも、充分に相手と会話は成立しますが、いざ言葉にして読む場合は、そんな5%以外の言葉の理解力では、とても読めません。

こここまで書いても おそらく 886 & 888 レスされた方には、何を書いてるのか? ちんぷんかんぷんで、
お分かりになられないでしょうが・・・仕方ありません。

まだ書き足りませんが、眠くなって来ましたので、次レスを書かれる方 気を取り直して 
よろしくお願いします。