今度の事件を利用して自分の主張を正当化しようと必死になっているコテハンがいます
自分がいじめられたときに教師は何もしてくれなかったというが
いじめられているという事実を必死にかくしていた自分の「弱さ=責任」にはノータッチ
「自分から進んでけっとうしました」と当時者がいうのに
「いやおまえはいじめられているはずだ」などと言えるはずはないだろう
校長室で反省文を書いたなら、その中に「いじめっこ」がさせたことをはっきりと書いたのだろうか
おそらく「悪かったのでもうしません」などと書いて提出したのだろう
CDをとられたといっても、自分から差し出すような形だろうし
そのような状態で教師に何を期待したのだろう
教師にも真実を見抜けなかった責任はあろうが、当事者が「隠した」ら親でもわからないのが
実態ではないか
さらに、そのコテハンは
以前「いじめられっこ」と揶揄されたときに
「自分もじめられたが、自分もより弱い他者をいじめたから、いじめられっこではない」
ということを書き込んでいた
「いじめ」の病理の中でも一番非人間的な
「自分がいじめられるのはいやだから弱い者をいじめる」という行動をとったことを書き込んでいた
コテハンのブログでコメントを求めているから、だれか聞いてみればどうだろう
彼は、自分の人生の不遇を中学時代の「いじめ」に求め
その責任を「学校」や「同和教育」や「男女共同参画社会」になすりつけている
だけに過ぎない
そんな男だから、痛いところを指摘されると無様な対応しかできない