祭りだろうが嫌がらせだろうが動機はなんであれ
せっせと鶴折りしたやつは、何年たってもこのことを覚えているだろうね。
普段は忘れていても、何かのきっかけですぐに思い出すことができる。
発端になった事件こと、折りながら考えたことや知ったこと。
毎年恒例行事にしろとか、募金しろとか、そんな目先のことよりも
これから先、何十年にわたる人生のひとつの糧になる、そっちのが大事。

賭けてもいいけど、文句つけることしかやってないやつは
半月もすれば何もかもきれいさっぱり忘れてるだろうよ。
あとにはなんにも残らない。

「しない善よりする偽善」
これは「善」か「偽善」かが問題じゃなくて
「する」か「しない」かが問題じゃないのかな。