もともとこの企画は鶴を燃やした関学の学生や関学への
あてつけから始まった、ただの「祭り」だった。
「広島の鶴や原爆で死んだ人たちをネタにして遊ぶな」という
反対派の意見は当初無視され、「平和うざい」と言われ続けてきた。
しかし、6日に合わせて関学がお詫びの鶴を届けたあたりから空気が変わった。
「平和について考えた」と言う者が急に増えた。
これは祭りを続ける為の言い訳にしか過ぎない。しかも最も都合のいい反論されない言い訳。
企画の最初からいた反対派からすると、「無視しておいて、自分たちの都合が悪くなると平和を
持ち出すのか?何をいまさら。」と思われても仕方がない。
今回集まった膨大な数の鶴は、何も知らない世間から結果としては評価されると思う。
しかし、目的に対しての結果があるのだから、目的を知っている俺は鶴が50万集まろうが
100万集まろうが肯定できない。