個人として、死んだ人のために立ったら黙祷すればいい。
生き残った人のためならよりよい代替的手段はいくらでもある。

「セレモニーとしてのヒロシマ」イベントに対する協力だったら時間遅れ。
関学事件に対するイロニーとしては、不出来。
実用性や世の中への貢献は皆無。

今までヒロシマをまともに考えていなかったり、
親戚や関係者がいなかったりする香具師が、
単に集まりやすい物語としてヒロシマと今回の関学の事件を利用したように見える。
実際は利用するほどちゃんと考えていなかったのだろうが、
いずれにせよ祭りとしての出来は低い。

いまさらやめろなんて言わないし、言える立場にないけど、
運営者はちゃんと思考停止させて参加させた奴らが、
何かがたがた言い始めた時のこと、ちゃんと考えておけ。