ところが、そのイベントを見た者、また参加した人間の人に中にさえ
このイベントは○○などと系統立てたり分類したり、ラベルを付けて
認識しようとすることがどんどん出てくる。
そられを見て俺は初めてそららの人が持っているフィルタを「実感」することができる。
このイベントは七色なのに、見る人の眼で赤にも青にも緑にも認識される。

例えばもし折り鶴が膨大になって朝日あたりが記事にしたとする。
きっと北朝鮮の拉致よりも1000倍もフィルタの存在とその有様を実感できる。
もし教育現場で何らかの題材に使われたら、どのような先生かを物語ってくれるだろう。
逆に、何も取り上げられることが無ければそれもスタンスのひとつだ。
ここの書き込みをしている人、このイベントを取り上げるサイト等々。
自分の身近にて起きたイベントだからこそ良く分かる。
何かを成す、それに対しリアクションが起こる、それだけでも行動の価値はあると思う。