人間だから、心の中に、悪い心、いい心、同居してる。
それが普通。
でも、鶴を折るときは、多分、無心になっている。
そのときは、無心。いいも悪いも、ない。
もしかしたら、純粋に、「ちょっといいことしたい。」
て思ってるかも知れない。
折りあがった後に少し恥ずかしい自分がいる。
でも、それがいいんだろうな。
思春期の夜中に書く日記みたいに、恥ずかしくなる前に、
残りを折って送ってしまうことにします。