>>57
同じく阿倍野区民の若者です。(あべのベルタや近鉄百貨店より年下)
江戸時代の古地図を年代別に何種類かみてきたけど、穢多村・非人村の記載はやはり木津方面だった。阿倍野方面、天王寺村は四天王寺等をはじめとする寺院群のお膝元という感じ。今よりも寺院の記載が遥かに多い。
しかしながら、西成が近いせいか阿倍野北西部は非差別部落の臭いを少なからず纏っている印象は受けますね。

自分は阿倍野では心霊的な話はほとんど聞きませんね。大きな霊園があるのにも関わらず。霊園があるということは、刑場、斎場、風葬地等、そこを霊園適地たらしめることができる大義名分的なものがありそうなのですが…
今度本格的に郷土史を当たってフィールドワークする予定です。