「 連合赤軍事件といえば、私が以前に住んでいた大津市の家の近くに坂東旅館という旅館がありました。
 ここは連合赤軍の指導者の一人、坂東國男の生家でした。彼は大津市内の一番の進学校を経て、京都大学に入りました。
 その後、大学を中退し、連合赤軍の中心人物となり、浅間山荘事件などを起こします。
 七五年のクアラルンプール事件で国外脱出し、中東のどこかにいると言われています。
  坂東國男が浅間山荘事件で逮捕される直前、彼の父親は、旅館で首吊り自殺を図ります。
 私はいつもその坂東旅館を見ながら、勤め先の大学に通っていました。
  父親はもう死んで、おられないわけですが、旅館そのものにはまだ坂東旅館の看板がかかっていました。
 実際には営業はされていなかったようです。と言うのも、旅館はまったく廃屋のようなたたずまいで、
 ほとんど手入れもされず、昔のままただそこに建っているだけなのです。
 家の中がどのようになっているのかはわかりません。この風情からするともう営業意図はなく、
 ただそこにそのまま旅館をおいてあるだけ、ということだったようです。
  周りにあった古い建物も建て替わり、オフィスビルなども建ってくるのですが、
 旅館だけは昔のままの姿でそこにある。建物は今もまだ残っています。
 周りの景色とはまったく不調和で、朽ち果てた印象はますます強くなっていく。
 その景色は非常に独特で、私はいつも何かある感慨をもって見ていました。
 そこに連合赤軍事件の末路を見るような思いといってもよいのですが、もう少し複雑なものなのです。」

佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』幻冬社新書、32〜33ページ。




まだ今も健在?