仮に人知を超えた存在が居ると定義しても、所詮その定義した人間も他の人間と同じ条件で認知したに過ぎない。
なら人知を超えた存在が居ると言い張る人間もまた、人知の範囲に居るに過ぎないから、人知を超えた存在を知っているはずがない。
なぜなら人知を超えた存在を認識することも、人知を超えているからである。(超えていると判断するには人知以上のレベルの目線が必要であり、それはまさに人知では足りないという定義そのものなのだ)

人知を超える方法はただ一つ、人間を超えるという事だけである。
そのためには、人間を完全に理解し尽くす必要がある。それが人間にとっての究極の悟りだ。


こう考えると、「人知」などという定義は誤魔化しに過ぎないようなものであるという事が分かる。
人間の範囲を決めて、そこから出ないものが人知の範囲であるとは、人間中心の見方でしかない。

今後人間の脳内現象が全て理解され尽くした暁には簡単にその範囲を超えた定義を作り出す事が可能で、
つまり人知とは、「犬知」とか「イルカ知」と言ったものと同じレベルでしかなく、単純な思考機械のスペックを表しただけに過ぎない。

Ipodに備わっている計算機の能力は計算可能で、つまり定義できる。
そうなるとそれを超えた定義もまたすぐに作れるのである。

人間を超えたスペックが本当に超えている事を証明する事も可能だ。
全ての物理現象は計算可能、少なくとも人間の体内の物理現象など脳のスペックを計算するレベルなら
間違いなく計算できて、という事は脳のやってる計算もコンピューターの計算と同じく定式化可能なんだ。圧倒的に複雑ではあるが可能。

出来れば宗教家より脳科学者のまともな研究に投資したほうが、早く悟れるかと。(^З^)