>>255のつづき
「普通の一般人」であろうというそのひとつの証左として、日月神示では、
救世主役の「因縁の身魂」を「落ちぶれている」と表現しています。

「・・・この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、
よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、
親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ。・・・」(上つ巻13帖)

つまりは、「上流階級、エリート」と言われる人たちではなく、
「普通の一般人」と解釈するのが妥当であるのではと思います。