1971.10.25 15:56ブレーキが効かなくなった114列車名古屋行き特急が17分遅れで東青山駅を通過
減速出来ないまま下り30分の1勾配を急激に加速し三つのトンネルを抜ける。
そのころ車内では「この電車は、もう駄目です」と車掌が乗客を後ろの車両に非難誘導を始めていた。
信号所のある垣内西ポイントを100km以上の速度で通過、異常事態を目の当たりにした信号所職員は
直に上り特急を止めるべく榊原温泉口駅に電話したが1400N列車は出発してしまっていた。
その直後、轟音が山中に響き渡る。
15:58さらに加速した列車は垣内東ポイントを引きちぎり激しく右に横転、どうする事も出来ない乗客は
椅子や荷物、割れたガラスと共に投げ出された。
4号車は折れ曲がり、3号車の屋根は半分以上裂けて吹き飛び、2号車までが横転したまま数十メートル
引き摺られた。 そこへ連絡が間に合わなかった1400Nが激突、運転室後ろの扉付近までめり込み
窓ガラスは全て砕け散り座席は跳ばされ車体後部は折れ曲がっていました。

自衛隊も出動したが遺体収容は困難を極め、時間が経つにつれ人の形をとどめていなかった。

原因は改装工事による地上ATSリレーの接触不良、そうネジ一本と聞いてます。

事故後一年間は現場トンネル手前の北側に慰霊碑を建てていました。
その後、近くのお寺に移され今でも鉄道本社や御遺族、関係者の人々が御参りしています。

ハイキングコースの一角にありますが立ち入り禁止です。それほど恐い場所でもないのですが
夜中に大勢で行ったりする事は、不法侵入になりますし防災の面でも危険なんで止めようね。