油壺は16世紀、北条氏の相模平定の際の合戦が由来、という説があります。
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しかしながら、16世紀以前から人が住んでいたエリアに、
当時どこにでもあった合戦ごときで名前がつくというのもおかしな話で、
日本国中に「油」地名がないことを見ても、理由はもっと局所的なことなのです。

じっさいは入り組んだ小さな内湾のうち、とくに波が穏やかだったことから
(実際に奥行きのある深い入り江であるうえ、屈曲している)、
そう呼ばれるようになったという説が主力です。
海側からは奥が見えず、陸側からはアクセスが困難だったことから、
一種の秘所として利用されていたと言われています。

北条氏に押された三浦氏が退いた「油壺」は、
当時から「油壺」と呼ばれていたと考えたほうが筋が通るのです。