>>4のつづき)
 視聴者だって、番組製作の裏にはいろいろあることは察していたことでしょう。それをあえて
 前面に出すことによって、番組がより身近なものへと変わっていくとともに、裏を読むという
 ことが当たり前のようになってきたような気がします。

 この「物事には必ず何か裏がある」という傾向は、2000年代に入るとネットによってさらに
 増幅されたように感じられます。
 「世の中すべてのことには、公式には言えない裏の事情がある。ネットでは、そういう情報を
 手に入れることができる」

 現代の人々には、人や物事は何か隠された事情によって動いているだろうという考えが
 根強く浸透しているように見えます。
 この世の中にいる人の全員が全員、社会活動に熱心に取り組む人になるということはあり得ません。
 また、その必要もないと思います。

 多くの人は自分の生活で手一杯。そのなかで少しでもお金が欲しい、モテたいと思いながら
 生活していてもまったく構わないと思います。

 にもかかわらず、懸命に社会活動に取り組む人をなぜ批判するのでしょうか。
 おそらく、純粋な意思で社会活動をしている人が本当にいるとなれば、何もしていない自分が
 否定されたような気分になってしまうからなのかもしれません。

 「おまえはなぜ活動しないんだ?」「おまえは自分のことしか考えない欲深な人間だ」
 そう言われているような気がしていたたまれず、「裏がある」と批判することで「アイツのほうが
 もっとひどいじゃないか」と自己を正当化したいのではないでしょうか。
 もっとも、こういう人は自分も何かしろと迫られているように感じるからこそ過敏に反応
 するのだと思います。
 何らかの社会活動をしなければならない。自分のことだけを考える利己主義になってはいけない。
 社会の一員として利他的なことをしなければならない。いろいろな事情があって今は自分の
 生活を成り立たせるので手一杯だけれども、できることなら利他的に振る舞いたい。批判を浴びせる
 人たちは、潜在的にはこうした良心的なこころを持っているのではないでしょうか。(以上、抜粋)