>>1のつづき)
 お二人ともマスコミで脚光を浴びている方々ですが、お付き合いしてみて感じるのは、彼らが
 お金や権力や名誉に対する欲がまったくなく、貧困に苦しむ人、自殺に追い込まれる人を
 何とか減らそうという純粋な気持ちで活動しているということです。

 しかし、湯浅さんも清水さんもときに多くのバッシングを受けます。
 内閣府参与は、個別の部屋が与えられるだけで無給です。活動のベースとする組織からも
 十分なお金を得ていません。
 湯浅さん、清水さんはバッシングに対して「傷つきますよ」「ヘコみますよ」と正直に
 吐露しています。言いたいヤツには言わせておけ、何を言われても気にしないという
 頑固な姿勢ではなく、私たちと変わらない普通の人間が自然体で活動しているだけなのです。

 かつての社会活動家のなかには、自分は正しいという妄信的な信念があり、それを表に
 出すタイプの人がいました。彼らの多くは、自分の活動を誇らしげに語り、周囲を巻き込もうと
 積極的にアピールします。

 しかし、湯浅さんも清水さんも自分の弱さをよく知っていて、しかも「みんなも私たちと
 同じことをするべきだ!」と押し付けるようなところがないのが、新しいタイプの社会活動家です。

 マスコミの人に聞いても、彼らは取材してほしいとも言わず、取材に行っても取材陣を強引に
 引きずり込むようなことはしないそうです。批判する人たちから見れば、かつての社会活動家の
 類型に当てはまらないところが得体の知れないところなのかもしれません。

 1980年代から90年代にかけて、テレビが変わったという印象があります。「夕やけニャンニャン」や
 「オールナイトフジ」などの番組で、製作側の裏側を隠さずに番組に出すようになったことです。
 番組に出るタレントも「スポンサーはこう言っている」「一番偉いプロデューサーが
 こうしたがっている」「広告代理店の力が強い」ということをわざと表面に出して面白おかしく
 演出していました。これによってテレビとは、制作者が本当に見せたいものを見せているとは
 限らず、いろいろな立場の人や会社の意向や思惑によって決まるという「裏側」を一般の
 視聴者に見せたのです。(>>3-10につづく)