日本の法とは、お上の主観的決定である。六法全書は、誤って法と認識され
ているが、これは破綻しており、何も妥当していないため、実は決定の修文
の具である。ここでは、主観的決定を、西洋法風味の言葉で修飾するという
慣習が存在する。日本の本当の法は、六法全書の中に混同されており、一つ
一つ取り出したり、言い換えたりしなければ実は分からないものである。
いずれにしろ、制定法は存在せず、ただ人の決定だけが存在する。