新古典主義時代のストラヴィンスキー、例えばバレエ「プルチネッラ」のセレナータを初め、
その大半がペルゴレージの引用である。1970年代に活躍したプロデューサーのウィリアム・
ガルシオは、ペルゴレージやストラヴィンスキーをポップス番組に復古させるべく、シカゴを
見出す。だからシカゴの1970年代中期までのアルバムはペルゴレージやストラヴィンスキー
の影響を多大に受けた。しかし後にピーター・セテラが主導権を握ってからバンドには全く
見るべき価値が無くなり、単なる大衆音楽を生み出すファクトリーへと落ちぶれた。