【H・ウィリアムス】カントリー・ブルーグラス【B・モンロー】
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0035狭捨庵主人
05/02/13 04:28:04ID:dycCHXW4座った事などを思い出し、思わず一筆啓上。
この時、Hank Williamsのバンド(Drifting Cowboys)のギタリストとして有名だった Sammy Peuett もサイドメンとして来日しており、一緒に会場に来ていたが、風邪気味とのことで演奏
しなかったのは、Hankのファンだった小生には一大痛恨時でした。
(楽器を借りて、1曲だけ軽く演奏した?年のせいで、記憶があやふや)
Bill Monroe の東京公演(初来日の第1回目)、えかった。
オープニングは、小生の大好きなあの、あの、あのI'm on my way to the old home で、
その時のBillの風貌たるや、「さすが、あのモンロー大統領の末裔。気品に満ちた、あの
お姿。」と、涙腺がゆるみそうになりました。
(誰だ、こんなヨタを広めたヤツは!末裔とすっかり信じ込んでいたんだぞ!)
でも、Bessie Lee Mauldin を愛人としてツァーに同行させ、数多くのレコーディングにも
参加させ、後年に彼女に裁判沙汰を起こされたり、あの名曲、My Little Georgia Rose が、
昔の女に生ませた娘を唄った歌であるとか、死後にあれこれとスキャンダルがおおっぴらに
なり、「落ちた偶像」と言うべきか、「人間味あふれる偉大なアーティスト」と言うべきか……。
N.G.D.Bのあの名盤に参加を求められたが断ったのは、
「誰?それ?」状態だったのか、長髪が気にくわなかったのか、「ぼくたち、ロックやってます」が気にくわなかったのか、はたまたScruggsと一緒になるのを嫌がったのか。
Billの不参加は、「画竜点睛を欠く」で、ファンとしては一大痛恨事です。あれに
出ていれば、あの名盤も、もっといっそう、光彩陸離たる出来になったでしょうし、一般的にも知られるようになっただろうし。
Billよ、君は人を見る目が無い!
「スター・ウォーズ」への誘いを断り、あわてて「1941」に出演した三船敏郎を
思い出しますが、あわてて似たような企画に飛びつくような素振りも見せなかったBillは
立派です。
BillのBillたる所以は、こんなものではとどまらず、
"Master of Bluegrass"盤の "Fair Play"でButch Robbinsのソロが気にくわないと、
(別テイクも取らずに)彼のソロの後半をミキシングさせず、異常な状態(マンドリンの
カッティングと、バックの音だけが聞こえる)のLPを平気で発売させたり、まあ、相当に
強烈な個性の持ち主であることは明かです。
でも、White Blues (上手い表現だ) の創造者としての偉大さには変わりが無い。
それと、過去ログの14さんへ(もう、このスレを見てないかもしれませんが)。
Blue Moon of Kt. のオリジナルのデータ(Columbia)は、
録音:1945年2月13日、Nashville の Castle Studios にて
パーソネル:
m : 御大
g : Tex Willis
f : Chubby Wise
bj : Stringbean
Accordion : Sally Anne Forrester
b : Howard Watts (Bill Westbrookとの説もあり)
です。
小生の好みは、やはり、再録のDecca盤です。
しかし、この曲、Presleyが取り上げ、独特のスタイルで唄い、それをStanley Brothers が
コピーしたり(ライバル意識の強かった関係で、Billの匂いを消すために、わざとこの
スタイルを利用したのだろうか?それとも単に柳の下のどじょうを狙ったのか?)、
BillもDecca盤の再演で4ビートのノリで演奏するなど、独特の取り上げ方がされており、
これまで多数のアーティストに録音されたこの曲を大量に聞くと、なにか面白いものが
得られそうな気もする。
それにしても、昔(1960年代初頭)の日本盤LPのライナーノーツはひどかったなぁ。
Stanley Brothers の Mountain Dew の解説に、「ギターはラルフの持ち替え」と
書いてあり、「ふーん、ギターも凄く上手いんだ」と長い間思いこんでいました。
(本当は、あのBill Napier)。
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