三枝家というのは地主としてもかなりの規模なわけで、
おそらく小作を百人単位でかかえていたと思われる。

とすると、三枝家を企業に見立てれば、
一部上場とまでは行かないまでも、地元では一応名の通った企業で
秘書室長・営業部長・企画部長・工場長・総務部長などを
猛は全部あの若さで兼任していたといって良い。

戦地で、上官の平野が猛を重宝がったのは容易に想像が付く。
猛の生い立ちでは間違いなく二等兵だったはずだが、
平野にとっては、歴戦の曹長・伍長なみに頼りになっただろう。