完全に結果論だけど、もしも喜美子があの時3年間は帰らないと宣言したりせず
せめて年に一度は帰省していたとしたら、ここまで手遅れの状況になる前に
実家の経済状況の変化には気付けていたかもしれない
美術学校入学の目標がある事や大阪で社会経験を積んで成長し
価値観や考え方が変化した事も両親に少しずつ伝えて理解してもらえていたかもしれない

3年間帰らないとあそこで決意しなければ違った結末になっていたのかも
でもここで信楽に戻るからこそ陶芸家への道もきっと開かれるのだろうから
なんというか、人生って皮肉なもんだ