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こんな記事でまで浅田真央はワシが育てたやっててごめんだけど、とりあえず↓みたいな感じの成り立ちよ

アイスショーを支える真壁喜久夫氏のこだわり

真壁氏がイベント企画会社CICを立ち上げた3年後の2001年、当時人気だった
フィリップ・キャンデロロを招聘して「フィリップ・キャンデロロ・ジャパンツアー」を開
催し、荒川静香、村主章枝などがゲストとして出演した。

「当時日本スケート連盟の強化部長だった城田憲子氏に、日本の選手は人前
で滑る機会が少なく、試合に出るだけでは世界のトップと勝負ができない、アイス
ショーのように多くの観客の前で滑る場を作って欲しいと乞われ、当初はキャンデ
ロロのショーに日本の選手をゲストとして出演させるという形ではじめました」
だが興行的にはうまくいかず、2000万円の赤字が出た。「それまでイベント請負
会社として、80年代から日本スケート連盟の大会運営を担当させてもらってきまし
た。でもアイスショーでチケットを売る、ということを初めて体験して学んでいかなく
てはならなかったんです」。

それでも翌年の2002年11月、初回の「ファンタジー・オン・アイス」を新横浜で開
催。すでに競技シーズンに入っていたシニアのスケーターは出場できなかった
が、当時ジュニアだった浅田真央と高橋大輔が出演した。
まだ12歳だった浅田真央が登場すると、カーテンの影からアレクセイ・ウルマノ
フ、アルトゥール・ドミトリエフなどのオリンピック王者たちが姿を現し、幼かった彼
女の演技をじっと見守っていたことを筆者も覚えている。

大きな赤字を出しながらもアイスショーを続けてきた理由は、なぜなのか。
「城田さんに、アイスショーに出場することが選手のためになった、それまで転
んでばかりいた浅田真央が、ショーに出たことで転ばなくなった、と感謝してもらえ
たからでした」