「はい、スタート」
 両掌を叩く音が、部屋に響いた。
私はベッドに腰掛けて、対する問題児は、正面で正座をして、音と共に頭を床にこすりつける。
「お代官様!後生です、後生ですからどうかこの店だけは!」
「違うでしょうがほれ」
「はい、課題手伝って下さいお願いします」
 心底素直に出てきた言葉を聞いて、思わず溜息が出た。
外は蝉が相変わらずうるさい。もっと言えば今、土下座から顔をあげてニコニコと愛想笑いをしている女もうるさい。
「何で夏休みの間にすませなかったの。今どき小学生でもないんだから、一か月丸々遊び呆けていたわけじゃないでしょ」
 愛想笑いを絶やさないその面差しを睨む。その当人は、頭をかきながら、苦笑いして、それでも意気揚揚と課題のノートを広げ始めた。
「いやほんと、時空がすっ飛んだとしか思えないって。ほんの数日前は七月だったのに」
「あんたの頭がすっ飛んでんのよ。ペンは?」
 あー、などと気の抜けた声で、部屋の中を探り始める。色々と頓着のない奴だと、うんざりする。
「少しは整理整頓しなさいよ……それでも女の子のつもり?」
 このまま待っていても、ペンは見つかりそうにもないので、片付けついでにと立ち上がる。
正直座る場所なんてベッドくらいしかない。つまさきで紙やらゴミやらを蹴散らして進むだけだ。
「昨日使ったんだけどなー」
「何に?」
「ペン回しの練習」
「ばか」

 つと、北側に据えられた嵌め殺しの窓、いつもと違う何かを見た気がして、わずかなカーテンの隙間を指で開く。
「あ、ケロさん」
「え、うそうそほんと?どこどこ」
 クローゼットの奥深く(そんなところに何があるのか……)でもがいていた声は、嬉々としてとんでくる。
いつもは煙に覆われて、空の青ささえ霞むような陽気だったけれど。
「あー、今日晴れるって言ってたね、そう言えば」
「今日は久々に、マスクしなくても外に出られそうね」
「じゃあ折角の散歩日和だし」
「だめー」

 即答を返すと、それも理解の上だったようで、口でぶうぶうと鳴きながら、ペン探しに戻って行った。
再び窓の外に視線をやる。久方ぶりに目の当たりにした置物は、相も変わらず悠々と空を飛んでいる。
「ケロさん、どうかお願いします」
 この子がどうか、私がぶっ倒れる前に独り立ちできますように。
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>>114に寄せる。正直意味不明。