大正10年の第一次大本事件で聖師王仁三郎以下ほとんどの幹部の
検挙投獄と神殿の強制解体を皮きりに、再建が済んで再び隆盛をなした
本教団に対する昭和10〜11年の第二次大本事件と二度の政府による
大弾圧を受け大本教は壊滅したと理解してます。
なにせ、日本は負ける、戦艦大和は沈む、爆撃により日本中火ダルマに
なると予言しちゃったもんだから、不敬罪と治安維持法違反で綾部、
亀岡の大本教聖地と神殿は数千発のダイナマイトで爆破されました。

終戦後生き残った王仁三郎を祭り上げ、愛善苑の名称で発足した教団は
まあ、私見ながら、脱け殻みたいなものかなと考えてます。