私はサンカ系?
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0001孤児
NGNG町名が「さざらい」というのですからサンカでしょうね。
親族は長身で色白で毛深く日本人離れしているので、
昔から、私は変な視線をを受け育ち、母は結婚差別を
受けたとか(内容は語らない)。下の記述はその根拠と
なるでしょうか?
一帯を開いたのが藤原氏の後裔だったから藤原と名付けられたと考えるのが自然だが、調べてみると、藤原岳の名の方が古いと思われる資料も多い。
藤原氏は「源平藤橘」四姓の実質筆頭であって、日本史上、最大の祖姓である。私は、4〜7世紀頃、天皇家の先祖とともに朝鮮半島から集団でやってきた鉄器と騎馬文化をもった民族の後裔と考えている。彼らは九州北部〜若狭に至る山陰地方に上陸して拠点を置き、九州・山陽道・関西・東海道に強大な勢力を広げ、米作文化をもたらした中国江南系の先住弥生人と激しく争いながら権力の主導権を奪い、円墳を遺した弥生人系ヤマト王朝から、方形墳を遺した騎馬民族系大和王朝に権力を移し変えた。その血筋は、一貫して天皇家とともに日本の貴族・武家支配階級の本流にあった。
だが、藤原氏の祖とされる中臣鎌足が、高千穂降臨の案内役たる猿田彦命の随臣の第23世子孫と称したことは、藤原氏の出自に微妙な陰影を与えている。「大化改新」に大功のあった鎌足は、669年、天智天皇から居住地の奈良県高市郡藤原の地名をとって「藤原」姓を与えられ、これが全国の藤某姓の発端となった。
藤原以外にも藤のつく佐藤、伊藤、近藤、武藤、斉藤、藤井、藤田、藤村、また黒田、落合、星野などの姓も藤原氏の変姓と考えられている。いずれも日本史に頻繁に登場する最大級の姓名で、武家の先祖は大抵、この一族に行き着くのである。
かつて、私の仕事先に二之湯さんという珍しい名字の方がいて、出生地を聞いてみると藤原町であった。員弁街道沿いに同名の酒屋があった。この方は港でトラック運転手をしておられたが、風貌は人品骨柄卑しからず、濃い眉、優しく大きな目、エラの張った堂々とした人相で、剛胆にして沈着、まさしく古武士の風格をもった方であった。
過去に、私は藤原氏の子孫とされる遠州の京丸藤原氏や平泉藤原氏のご子孫も拝顔したことがあるが、いずれも上に書いた特徴をもち、古武士を連想させる風格をお持ちであった。天皇・秦氏・紀氏など騎馬民族・貴族系の人相は薄い眉、切れ長の一重瞼が特徴なのだが、私の知る藤原氏の後裔と思われる人々は、どういうわけか目が大きい二重瞼の人が多く、天皇系の血筋の外見的特徴と似ていない。あるいは蝦夷の血が入っているのであろうか。
0637天之御名無主
2006/02/23(木) 16:07:36昔実家にも半年か1年ごとに『富山の薬売り』の人が訪ねてきてたが子供心に日本国中股にかけて薬を売り歩く
このおっさん達は只物じゃないとニラんでた。五木寛之の『風の王国』で山野をものすごい速度で駆け巡るシー
ンがあったけど、このおっさん達が人目の無い山間部では柳行李を背負いながらものすっごいスピードで駆け巡
ってるのを想像すると・・・。 何かカッコいい!!
0638天之御名無主
2006/02/23(木) 17:19:07僕のお婆さんの話では、遠い地方のニュース、近くの村の婚姻の話し、もうすぐ葬式のある家・・・
等の情報話しなど、間違いない話しを伝達していたそうです。
これなど、アヤタチ大親分を中心とした連絡網があり、仲間のネットワーク、組織があったんでしょうか?
サンカ・アヤタチ組織=富山の薬売り〜面白い見解だと僕は思います。
0639天之御名無主
2006/02/23(木) 17:45:12景気いい頃、ヤ○○トのおばさんってハワイ旅行に
招待されてたんだって。
あの人たちの仕事って飲み物売るのもあるけど
色んな場所にズカズカ入り込んで情報を得ること
が重要な任務だって書いてあった。
公共機関にこんな本が…って驚いた。
ほとんどの人が知ってる常識なのかもしれないけど
薬売りとちょっと似てる。
0640天之御名無主
2006/02/23(木) 21:55:35多く、また猟師や山師達は講を構えており、猟の期間・場所や猟の数
についての指定をしていた。
これは現代でも一部の地域では多くのしきたりが残っており、主にそ
の山の自然体系・食物連鎖を維持・管理する目的があったと、今では
考えられている。
しかし一部のムラや講に属さないサンカと呼ばれる流民は、このいい
つけ・しきたりを乱す事があった為、村民や生産者組織である講や、
支配権力者である武士から弾圧をうける事もあったものと思われる。
農村に残る鬼や山姥の伝説も多くはムラの共同体に従わない彼等下層
流民の類の記録だと分析されている。
0641天之御名無主
2006/02/24(金) 21:02:19汚らわしい賎民として扱っていた。しかし当時の河原は市が立ち、経済活動
が盛んで、その技を歌舞伎や阿国踊りのようにパトロンを見つけて文化まで
磨き上げる成功者もいた。
彼らの多くは律令制の中で荘園から逃散した流民であったものだと思われる。
農村社会の中での居場所を失い、当時の大都市である京の都に流入したのだ
ろう。
律令時代の奈良・平安に流民の暴動・逃亡が数多く発生し、権力者の悩みの
タネとなていた。
0642天之御名無主
2006/02/24(金) 21:42:320643天之御名無主
2006/02/24(金) 22:56:04真偽の程はともかくとして、大変興味深く拝見しました。
私も子供の頃『薬売り』の人が来ると興味津々で近くに座り込んでジッとみていると紙風船をくれたりして。(年がバレちゃうネ)
それと サンカって忍者っぽいと前から思ってたんだけどやっぱり関係があったんですね。自分でも調べてみます。
>>640 >>641
大変勉強になります。また教えてくださいね。
今度はテキストを書写すだけではなく、それに対して貴方がどう感じ どう考えているのかも書き添えて頂ければ素晴しいと思います。
0644天之御名無主
2006/02/24(金) 23:22:29阿国の時代には、荘園制はとっくに崩壊していたはず
0645天之御名無主
2006/02/25(土) 00:06:270646天之御名無主
2006/02/25(土) 18:05:270647天之御名無主
2006/02/25(土) 18:47:040648さっとこ
2006/02/26(日) 12:08:530649天之御名無主
2006/02/26(日) 12:43:51かってに師匠と呼ばせてもらうオ。
それにしてもルンペン廚って何のためにこのスレに来てんのかなア
そんな事しか書けないんダタラ来なけりゃイイのに 恥ずかしくナイン?
・・・死ねばイイのに。
アッ!さっとこは自分の巣にカエレ!
0650天之御名無主
2006/02/26(日) 13:57:220651天之御名無主
2006/02/26(日) 13:58:030652天之御名無主
2006/02/26(日) 14:10:52悪りぃ悪りぃwww
俺、東京出身だから大阪と京都区別着かないやァ…
京都のルンペン地域なんだなァ?在日B地域かァ?
もしかしてぇ…ヤベェ…退散!
0653天之御名無主
2006/02/26(日) 14:36:45余り統一されていないがぁ
山家、山窩、讃歌、三家、参加、賛歌、惨禍、三課、酸化、
傘下、産科…
正しくは、山窩なのかぁ?
0654天之御名無主
2006/02/26(日) 14:43:250655天之御名無主
2006/02/26(日) 14:49:08神田の古書街で、何かサンカの本、無いでしょうか?
と訊ねてながらサンカの本を探していたら、
親切?な 古本屋のカミさんが“これもサンカの本ですヨ!” と薦められ・・・
、志賀直哉の「山科の生活」を・・・訳もわからず買いました。
家で、よく見たらサンカのこと書いていない本でした。
カネ〜〜返せ!! おばさん!!!
所詮、自分の一般教養の無さにアキレテ おりまする。
ルンペンさん〜〜 イツまでも変なスレいれてるより、
ルンペンになったら、どうですか〜〜〜〜ア
0656天之御名無主
2006/02/26(日) 14:54:28アアアアアアアアアアアアア〜〜〜〜〜
良かった。 オレより馬鹿がいた!!!
0657天之御名無主
2006/02/26(日) 15:02:32「私、サンカの所属です。」
エ〜〜〜〜〜
「○橋病院の産婦人課勤務、所属は サンカ です」
これもサンカ、山窩 でーーーーーあった。
0658天之御名無主
2006/02/26(日) 23:16:10「山窩」も正確な発音(歴史的仮名遣いによる発音)だと
「サンクワ」だから語源的には違う、と言うことを後藤興善が言っていた気がする。
漢字は当てにならないと思われ。
個人的には「坂の者」→「坂者」→「さンか者」→「サンカ」だと思っている。
宿無しで川っぺりに住んでいた人々(サンカとは違う)を指して「河原モン」
という言葉も有ったのだし。
0659落ちこぼれの院生
2006/02/27(月) 08:09:48「坂の者」→「坂者」→「さンか者」→「サンカ」
納得してしまいます。あなたは天才です。
尊敬してしまいます。師匠と呼ばせてください。
0660天之御名無主
2006/02/27(月) 19:38:41坂者(サンカ)と言うのも蔑みの感情で生まれた言葉。
だからよく言われるように、
サンカ自身が自分たちのことをサンカと言う事はない。
ショケンシといっている例はあったとなにかの本で読んだ。
しかし、「自分たち」という意識をどこまで持っているかが問題だと思ふ。
西日本から関東まで、「サンカ」一族があって統制があって、
十三の時(だったかな?)には丹波に行って術をおぼえて一人前になる、
などというのは面白いが、あまりに小説っぽいよね。
0661天之御名無主
2006/02/27(月) 20:28:090662天之御名無主
2006/02/27(月) 21:05:28ただ占有はしないよ。
山は誰のものでもない、という世界観で生きてるから。
だから山(大地のすべて)にある畑も誰のものでもない、
畑にある草・野菜も誰のものでもない、と
勝手に食っちゃって盗っ人呼ばわりされる。
サトモンからすれば間違いなく盗っ人だからね。
0663天之御名無主
2006/02/27(月) 22:11:240664天之御名無主
2006/02/27(月) 22:48:07「共に産する」わけじゃないモン。
要するに野生の獣と同じなわけだ。
畑の作物を食って、地主が「盗っ人!!」と怒っても知っちゃいねー。
社会だの主義だのに縛られることもなく
自分らのおきてにのっとって生きる。
大地が寝床、天が屋根、自然界とわが身のあいだに世界がある。
ああ、すばらしき流浪人生!!
0665天之御名無主
2006/02/28(火) 00:13:370666天之御名無主
2006/02/28(火) 02:41:240667天之御名無主
2006/02/28(火) 08:32:240668天之御名無主
2006/02/28(火) 10:07:540669天之御名無主
2006/02/28(火) 18:03:230670天之御名無主
2006/02/28(火) 22:47:22オタ系の板しか見てなかったけど、
サンカについての議論があるなんて。
でもさ、
サンカの存在をどうやって知ったの?
一般社会での認知度はかぎりなく0でしょ。
俺は八止の本を図書館で見つけて知ったんだけど、
基本的に被差別部落と同義だから公に語られることないっしょ。
俺(30代)と同年代以下で知ってたら奇跡だとおもう。
リアルサンカが忘れられてない時代を知ってる年配者スレ?
0671天之御名無主
2006/03/01(水) 01:19:36サンカに対する熱がちょっと冷めた。
「この集団も所詮、掌の上の人間じゃん」
0672天之御名無主
2006/03/01(水) 18:39:53全く、サンカのフィールド調査も、資料勉学もした事の無い、人間。
口先だけの出任せで、害虫人間。
この二人は、日本のもっとも恥るべき、存在価値の無い人間だ。
0673天之御名無主
2006/03/01(水) 20:51:300674天之御名無主
2006/03/02(木) 00:15:480675天之御名無主
2006/03/02(木) 01:22:560676天之御名無主
2006/03/02(木) 12:20:490677天之御名無主
2006/03/02(木) 20:39:330678天之御名無主
2006/03/02(木) 21:14:33「河原者三家族、サンカ者七家族 本日 大井川渡り村もち山へ入る。
駐在へ連絡 明日勧告して 材を刈りした時は山狩りするなり」
昭和6年5月8日 の記述
これも山窩のことでしょうか?
0679天之御名無主
2006/03/02(木) 21:20:020680天之御名無主
2006/03/02(木) 21:35:48それはサンカだね。
その頃サンカは警察から警戒してされていたから。
ただ、「河原者」「サンカ者」というのは
あくまで警察(里者)側が言っていたものだから、
どんな基準で二者を区別しているのかわからないね。
単に川にいるサンカの事を「河原者」と言ってる可能性もある。
0681天之御名無主
2006/03/02(木) 22:38:47だよね。
0682天之御名無主
2006/03/02(木) 23:01:550684天之御名無主
2006/03/03(金) 00:43:10御山さ土足で汚す不届きもんは、目鼻さ削いで吊るすだ!!
0685天之御名無主
2006/03/03(金) 03:57:39サンカに対する熱が、だいぶ冷めた。
「この集団も所詮、掌の上の人間じゃん」
0686天之御名無主
2006/03/03(金) 09:23:130687天之御名無主
2006/03/03(金) 18:35:27もう、消えろ 自分の頭のレベルの低さを知れ
672様の意見の方が、正しい お前は馬鹿か
0688天之御名無主
2006/03/03(金) 20:22:43サンカに対してますます興味が湧いた…
「この集団こそホントのアウトサイダー集団だ」
0689天之御名無主
2006/03/03(金) 21:28:050690天之御名無主
2006/03/03(金) 23:41:17サンカが夜盗や山賊仕事をするからって
「子孫」としていっしょくたにするのは無理がある。
夜盗、山賊をしていて里に住めなくなったひとびとが
「サンカ」という一集団になった、というなら
意味は分かるが、
しかしそれではサンカにある独特な文化(里とは違う)の
起源を説明できない。
0691天之御名無主
2006/03/04(土) 10:11:05↓
腕や才覚のある奴は武士にのし上がり大名に
↓
パンピーは検地刀狩で真っ当な人間に
↓
徳川幕府に目をつけられたのは穢多・非人に
↓
就労・納税さえの拒否して山野にこもった最低のニート
↓
徳川幕藩体制300年の間に更生の機会なく脳内文化化
↓
サンカ・カワラモンの誕生
0692天之御名無主
2006/03/04(土) 12:20:32洞窟に住む者って意味で、天幕住まいでは無いんだよね?
山禍みたいなイメージで命名したのかね?
0693天之御名無主
2006/03/04(土) 12:46:58サンカの出産方法とか風習がよく描かれていた。
0694天之御名無主
2006/03/04(土) 13:39:42でした。 これは、いい映画だね〜 あんな里、山、川で生活できたらイイナ〜〜〜〜
下手に大○院へ逃げ込んでみたが、飯にありつけなくて・・・・ 彼女も逃げ・・・親も泣かし・・・・
オレは・・・・サンカ に 参加 した方がいいのか・・・・
誰か紹介して〜エ サンカの仲間に入れてくださ〜い
0695天之御名無主
2006/03/04(土) 13:53:00692の先輩、「山窩とは明治の行政用語(特に警察用語)・・」
警察は、明治の何時頃から「山窩」と書いて表現したのか? 教えてください。
この板、サンカの最先端の情報が、飛び交っていて面白いで〜す。
0696天之御名無主
2006/03/04(土) 14:05:05681様の、サンカの合計10家族のこと、正解かも、おれもそう思う。
694様、人生は黙っていても、なんとかなる、「捨てる神あれば拾う神あり」オレもそう思う。
0697天之御名無主
2006/03/04(土) 14:10:04監督はまず配役筆頭に彼を思いついたんだろな。
良く描かれてると言われてもなあ…
0698692 長文御免
2006/03/04(土) 15:30:04いやいや、私は何も知りませんよ。
山窩は私はとって郷愁を伴うファンタジーに過ぎません。
ただ幼年期に、山窩との接触を想起させる、或るささやかな体験があり、
その体験からかなりの年月が経ってから、NHKの新日本紀行だったか?
(何年か前にもアーカイブスで再放送していた)そのドキュメンタリーで、
熊本県菊地郡周辺の山窩の生活痕跡を地域住民が証言している様子が
取材された番組がありました。
当時私は成人して東京に住んでいましたが、私の実家は菊地郡から
そう離れていない町にあったので、その番組や三角寛の著作に触発され、
帰郷の折にその辺りの山を歩き回って調べたことがあります。
やはり、幼児体験がずっと心の隅に引っ掛かっていたからでしょうね。
調査した時期は昭和45〜8年位だったかな?
調査と言っても、登山口の里の人にちょっと話を聞いて、カメラ持参で
山歩きする位だったんですが、あの辺の山は殆ど全部歩いてみました。
結果、何も山窩の手がかりは得られず、空振りに終わりましが、
それ以来山歩きが好きになっちゃいましたよ。
なお、いつ頃から山窩と呼ばれていたかに関しては[山窩 警察用語
明治]等をキーにぐぐってみて下さい。
因みに私の幼児体験に関しては、宜しければ以下のレスを読んでみて下さい。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/out/1077625078/547-560]
0699深謝、長文御免さん
2006/03/04(土) 15:47:45確か、大分県大野川でサンカの調査をした報告書が有ると聞きました。
私の職場の***生に聞いて、確認しておきましょう。
三角寛も大分で、帰郷の際、サンカのイカキ売りの女から、サンカの昔話しの
語り部を紹介してもらった等・・・の書き込みありますネ。
九州のサンカのこと、もっと教えてください。
0700天之御名無主
2006/03/04(土) 16:06:26貴方が熊本の御出身のようですのでお聞きします。
私の妄想ですが「五木の子守唄」はサンカとは関係ないでしょうか?
私は五木地方がどんな所か知りませんが、歌の内容を考えたら
一年に一度戻ってくるサンカの事を歌っているようにも取れるのですが。
0701天之御名無主
2006/03/04(土) 16:13:070702天之御名無主
2006/03/04(土) 16:48:170703天之御名無主
2006/03/04(土) 20:44:140704天之御名無主
2006/03/04(土) 22:34:07書いた後、再度思い返してみましたが、NHKの該当ドキュメンタリーを何時の
時点で観たか、その時系列の記憶がかなり曖昧になっています。
当時は反体制学生運動が非常に盛り上がってまして、三角寛著作の他にも、
白土三平のカムイ外伝等色々な山窩関連の資料に接する機会はありました。
>>700
五木の子守歌は平家の落人の末裔が住む五木・五家庄地域の子守歌と
聞いています。
幼くして子守奉公に出された娘が、山奥の故郷を偲び、盆の藪入りを
待ち焦がれると言う設定ですが、実際はそんな境涯の娘が奉公先で
亡くなってしまい、彼女を悼んで、せめてその魂が盆に実家へ帰り
着いて欲しいと願った、娘を送り出した側の哀歌だった様な気がします。
漠然とながら、漂泊の民とされる山窩の唄ではないような気がします。
しかし確かに菊地郡から球磨郡にかけては、古墳群や謎の遺構トンカラリンと
その付近の集落、さらには三方を断崖絶壁に、正面を山に囲まれた竹田市、
深山の隠里のオーラを放つ五木・五家庄など、九州育ちの私から見ても
異質で非日常的な佇まいの空間が点在しています。
因みに私は幼児期は某新興工業都市に住んでいました。
そこは今でこそ産業が衰退しすっかり寂れてしまった様ですが、
当時は非常に活気がある町だったと記憶しています。
根拠のない仮説に過ぎませんが、もし山窩と呼ばれる民が実在したとして、
所謂[とけこみ]を企てる場合、当時のこの町の様に好景気で、
しかも由緒ある城下町の様な古いしがらみがなく、出自を問われにくい
新興都市を足掛かりの地
として選択するのは自然な成行の様な気がします。
更に彼らがそういう地でいくばくかの成功を遂げたら、次ステージを求め
再度移動するのかも知れません。
最終的に目指す地は、やはり首都圏、或いは外国なのかも知れませんね。
0705天之御名無主
2006/03/04(土) 22:41:220706天之御名無主
2006/03/04(土) 22:43:18地球と運命を共同する民族だと
ぼくぁ、思うな〜
0707天之御名無主
2006/03/04(土) 22:56:44http://kouzoukaikaku.jp/
0708天之御名無主
2006/03/05(日) 00:31:37今いるのは、ただの浮浪者だけだ。
0709天之御名無主
2006/03/05(日) 00:36:46どうすれば青に戻りますか?
0710700
2006/03/05(日) 12:16:33詳しく解かり易い解説ありがとうございました。
私も大学時代、白戸三平の「カムイ外伝」は全巻もっていました。
色々批判はあるようですが、20年前に三角寛の
「サンカ研究」を読んだ時はかなりの衝撃をうけました。
0711天之御名無主
2006/03/05(日) 12:54:590712天之御名無主
2006/03/05(日) 13:38:570713天之御名無主
2006/03/05(日) 14:13:40共産主義を、頭から三角は受け入れない人物である。
三角寛の取材サンカの一部の人たちは、最近発見され、
サンカの研究者たちに取材されたと聞いている。
その記事によると、「ルンペン」ではなく、立派なトケコミ者になっていた。
せっかく良い雰囲気になってきたので「711=712」のルンペンさん!!
アラシはそこまで!! もう出てこなくていいヨ* シナドオクリにな〜れ
0714天之御名無主
2006/03/05(日) 14:53:16ミキティバッシングはやめてぇぇぇぇぇぇぇ!!!
0715天之御名無主
2006/03/05(日) 15:01:180716天之御名無主
2006/03/06(月) 00:11:22出来るだけ詳しく
0717天之御名無主
2006/03/06(月) 17:49:580718天之御名無主
2006/03/06(月) 20:16:35東京相和とか政治とか、世の中のディープな所に住んでる
サンカにも興味あるなぁ
0719天之御名無主
2006/03/06(月) 22:11:210720天之御名無主
2006/03/06(月) 23:24:46勢力拡大に尽力したのかな?
大本で仕入れたノウハウ活用したのかな?
それとももともと宗教活動の裏側には…
って感じなのかな?
0721天之御名無主
2006/03/07(火) 00:14:01現在もサンカの人たちが昔のままの姿で生活しているとは考えられません。
なにか里に住めない事情がある人が、一時的に生活してるのではないでしょうか。
もし、サンカだったら民俗学的大発見ですよ。
0722天之御名無主
2006/03/07(火) 09:47:03率いる大本教に山窩の影響が濃厚ってことになるんでしょうか?
私は大本教に関しては、出口の親族が書いた[出口王仁三郎]の伝記本と
高橋一巳著の[邪宗門]しか読んだことがありませんが、そこには山窩
云々の記載はなかったと思います(想像はご法度です)が、大本教の
メンバーや創価学会の初期メンバーに山窩がいたと書かれている文献が
あるのなら、ソースをお教え頂ければ有り難いです。
今一つ、大本教解散後、本教団の人材は、戦後のPL、成長の家、
世界救世協会、天理、金光等など広く分散して行ったわけです。
で、ご説の意味は戸田城聖やその一番弟子の池田大作等の核グループの中に、
大本教の残党にして、山窩族の人物がいたという意味でしょうか?
そちらの関係の文献はまずないと思われますが、なんらかの論拠があれば
是非ご紹介下さい。
因みに私は特定の宗派、教団に組するものではありません。
とは言え、完全に無宗教、唯物論者という訳でもありませんが。
0723天之御名無主
2006/03/07(火) 12:46:500724天之御名無主
2006/03/07(火) 14:26:42検挙投獄と神殿の強制解体を皮きりに、再建が済んで再び隆盛をなした
本教団に対する昭和10〜11年の第二次大本事件と二度の政府による
大弾圧を受け大本教は壊滅したと理解してます。
なにせ、日本は負ける、戦艦大和は沈む、爆撃により日本中火ダルマに
なると予言しちゃったもんだから、不敬罪と治安維持法違反で綾部、
亀岡の大本教聖地と神殿は数千発のダイナマイトで爆破されました。
終戦後生き残った王仁三郎を祭り上げ、愛善苑の名称で発足した教団は
まあ、私見ながら、脱け殻みたいなものかなと考えてます。
0725天之御名無主
2006/03/07(火) 16:48:330726720
2006/03/07(火) 19:55:08ソースはないです。
ただ創価関係は「八木なんとか」って人が
チラッと書いてたのを記憶してます。
サンカ関係では有名な人らしいですけど、
この人の説では「日本の何割がサンカ」(えぇっ!!)らしくて、
もし平成の現在、その方が生きてたら
「あゆもあややもサンカだ」って言いかねないくらいの
誇大でトンチンカンな面があった事も事実です。
大本の事もネットで「ふわ〜」っと
噂されてるのを見た程度です。
でも王仁三郎の「麦なんて食わないほうがいい
米を食えば勇気が出てくるから、そっちを食え」
の発言から、王仁三郎自身はサンカじゃないのは
ハッキリしてると思います。
もしシステマティックなサンカ勢力がそんざいするなら、
インターネット内の「匿名」の「巨大」掲示板なんて、
活躍するのにピッタリだと思って、いわゆる
「煽り」をしてみました。こんな過疎板には来てない可能性が
大きいですが(第一、こんな一平民が煽れる相手じゃないのかな…)
ネットや2ちゃんねる内の色んなパズルのピースを集めて、
ソースにするなんてもし言ったら、現実的じゃないって
笑われそうな話ですね(笑)
裏を知りたくなる人間のただの好奇心です。
0727天之御名無主
2006/03/07(火) 21:03:43戦艦大和は海軍の秘中の秘で、その存在は軍部の極限られた一部しか
いなかったし、戦時中も大和の存在は、帝国臣民にはまったく報道さ
れていなかったのだが?
沖縄特攻作戦で撃沈された時の生存者は、終戦まで無人島に隔離され
ている。戦艦大和が国民の目の前に現れたのは、戦後初めてだったの
である。
分かるわけがない。
0728天之御名無主
2006/03/07(火) 21:14:49王仁三郎自身がサンカだったという説もあるけど、サンカと大本教と創価の関係は???疑問だな。
>>726=720さん
八木(やぎ)じゃなくて 八切(やぎり)留夫 じゃない?
確か 3000万人居るって言ってたし・・・。
0729天之御名無主
2006/03/07(火) 21:20:07鞍馬で修行なんか、させてくれないんだが・・・
0730天之御名無主
2006/03/07(火) 22:54:44まあスレ違いだし、大本信者でもないから別にいいけど
0731724
2006/03/08(水) 01:35:00ノストラダムスと一緒で、この手の予言書は事後、歴史情報が固定してから
読み解かれる(こじつけられる?)のが常ですから。
しかも残った予言書の中には、出口を有罪に持ち込むための特高による
捏造も多々混入しているそうです。
しかし天皇の人間宣言や敵国大勝利のお筆先には、出口に少なくともとんでもない度胸があったこと
は認めざるを得ませんな。
>>728
その大本が山窩の頭目と同義に用いられていたのが事実ならば
普通名詞の大本だったのかも知れませんね。
しかし八切氏の説、三千万人説は単に山間部で暮らしてる人や山間部
出身者の総数じゃないんですかね?
>>727
確かに、信者さんの立場としては(727さんが信者と言う意味ではない)
解散は暴言かも知れませんね、反省致します。
釈放(S20/9)後、愛善苑として再出発した大本教では、もはや聖師
王仁三郎の往年の迫力はなかった様です。
性器出して散策したり(これを信者の方は嬰涯の如き無垢の境地と解釈)、
書画をしたためたり以外には顕著な宗教活動は記録されていないようです。
肝心の予言、戦後〜二十世紀末にかけての口述予言も見事に外れ
(第三次世界大戦と壊滅的天変地異)てしまったようですし。
信者数は戦前の最盛期には7〜800万に上ったらしいのですが、
昭和27年に再度大本教と名称変更してから半世紀経つ現在でも20万
前後の信者しかいません。
だから強烈な先達ナオと王仁三郎の終焉と共に大本は終わったものと
理解していました。
仰る通りスレ違いなので、この辺で止めときますね。
0732天之御名無主
2006/03/08(水) 02:56:300733天之御名無主
2006/03/08(水) 11:59:58一時期は日本御三家(岸信介 皇室 大本様)と呼ばれたという。
現在のアヤタチ(大本様)はどんな人物で何処でどうして暮らしているのか?
シノガラ資金はどうなっているのか?
興味は尽きない。
0734天之御名無主
2006/03/08(水) 21:07:03少なくともGHQの占領時代ではないな。
当時、日本籍を持つものは、海外渡航の際にGHQの許可が必要であり
持ち出せる金銭も限りがあり(というより当時の円は貨幣価値が天文学
的に低落し、通用しなかった)、金の流通にも制約が設けられていた。
更にはサンフランシスコ講和条約まで連合国への渡航は敵性外国人扱い
だった。
戦前にスイス銀行にもし口座を作っていたとしても、現金であれば数万
分の一の価値に下がっているので、ただの紙切れにすぎない。
0735726
2006/03/08(水) 21:24:57「ヤギリ」って事は演歌の「矢切の渡し」とか関係あるんでしょうかね?
0736天之御名無主
2006/03/09(木) 03:16:26事もあったりして?
GHQ=
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