>>434
気になるので戻るけど

>で、高校数学を乗り越えて、大学数学にたどり着くと証明の嵐
>証明こそが数学だと思い知ることになるけどここでつまずく人が多数派だろう
>でも証明や論理展開が好きになる人もいる
>ここ見てる人は大半がこのパターンだろうがw
>証明わからなかったら定義だけはしっかり確認しようというのが自分自身への戒め

証明は、分かると、その(例えば定理の)数学的構造あるいは内容を反映したものだと見えてくる場合がある。
というか、そこまで進まないと勉強したと言えないかもね。

大きな定理は、山に例えられる場合がある。いくつもの定理の積み上げの後に、大定理の証明があり、そこが山頂だと。下から一歩一歩。
山頂から振り返ってみれば、自分の辿ってきた道が見え、山の構造が見える。
なぜ、こういう証明の道筋なのか。それは、山頂に立たないと見えてこないものかも知れない。

”証明わからなかったら定義だけはしっかり確認しようという”に加え、これは何をしようとしているのか? 証明のゴールの確認(それは山頂でもあり、山頂へ至るキャンプ地かもしれない)。
定義とゴールとを確認して、「定義とゴールとを結ぶ道を示すことが証明なんだ」と。
そして、常に山の構造を意識しよう。自分はいま何合目に居るのかを。