>>449-452
どもです

>いや、教科書に書いてあるような定義も覚束ずに、
>でも、その数学的対象に対して何か計算はしましたって言う話
>オレの知ってるケースでは、どうも定義は、共同研究者か(元)指導教官の頭の中にあるっぽいw

おもしろい話だ

”で、高校数学を乗り越えて、大学数学にたどり着くと証明の嵐
ここも数学を道具として使う分野だとあまりやらないかもしれないが数学科だと避けられない
証明こそが数学だと思い知ることになるけどここでつまずく人が多数派だろう”>>434

と関連していると思うが
大学教官が学生に期待しているのは、手足と腕力ってことだろう
昔、高校の物理の先生が京大の物理出身で、「大学で10年くらい同じテーマで研究している。簡単な話で毎年研究室に入ってくる学生にテーマとして与えるんだ」と

そのテーマを選んだ人たち、「定義は、共同研究者か(元)指導教官の頭の中にある」ってこと

それで言いたいことは、「証明こそが数学だ」の否定だ
”大学教官が学生に期待しているのは、手足と腕力ってこと”→「証明こそが数学だ」

でも、大学教官の数学は、コンセプトであり、概念であり、ランドスケープであり、哲学なんだ