>>17
>>18
>>134
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツ#section_6

ポツダム会議によってドイツ本土は分割統治され、
ドイツの国境は西に大きく移動され、旧領土の三分の一を失った。
多くがポーランド領となり、オストプロイセンについては半分はソ連に併合された。
チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニアおよびハンガリーといった地域での少数民族であった約1,000万人のドイツ人は追放された。
1949年まで連合国による軍政が敷かれた後(連合軍軍政期)、
アメリカ合衆国、イギリス、フランスの西側占領地域はドイツ連邦共和国となり、
東側のソ連占領地域は共産主義のドイツ民主共和国になった。

残されたヘルマン・ゲーリングやヨアヒム・フォン・リッベントロップ、
ヴィルヘルム・カイテルなどのナチス首脳部の一部は、
連合軍による戦争裁判・ニュルンベルク裁判やニュルンベルク継続裁判で裁かれることになった。
また、独立回復後の西ドイツ政府により非ナチ化裁判が行われ、
ナチス党関係者やヒトラーお抱えの映画監督と言われたレニ・リーフェンシュタールなどが裁かれた。

また、ナチス占領下にあった地域でも、
ナチス高官の愛人を持っていたココ・シャネルなど、ナチス党関係者と関係のあったドイツの
犯罪行為に加担した政治家・芸術家・実業家も戦後罪を問われ、
裁判を受けたもの、活動を自粛せざるをえなくなった者などが存在した。
しかし逃亡したナチス戦犯もおり、
これらはサイモン・ヴィーゼンタールなどのナチ・ハンターによって追求が行われ続けている。

すべての非ファシスト・ヨーロッパ諸国ではナチ党およびファシスト党の元構成員を罰する法律が確立された。
また、連合軍占領地域でのナチ党員やドイツ兵の子供に対する
統制されない処罰が行われた(参照:ナチの子供)。
終戦前に逃亡した者も、国際手配されて最終的に処刑された。


自国で取り締まるか、ドイツと同様かのいずれかでしょう。