政治と愛について
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2012/02/05(日) 15:06:50.02ID:lp3rZHpj0責任を負うにはやる気や能力が必要です。
やる気も能力もなければ、破滅して、生むことも育てることもできずに、駄目になって滅びます。
駄目なものは滅ぶ必要があります。
ただ乗りは許されません。責任は、その人に対して負うことになります。
その人から離れた枝は、見捨てられて滅ぼされます。
人の細胞が人として生きるように、その人の自由を共に生きるか、滅ぶことになります。
偶像崇拝などによって逆らうことは犯罪です。
最後に審判をして、拒絶したり、承認したりするのは、その人です。
その人は、厳しい人です。その人は、厳しい判断を下して、駄目なものを見捨てます。
たとえ審判を承認しなくても、押し付けられて強制され、改めてまともに自立しなければ、滅ぼされます。
人類の一部は、自由や人道などを求めて、助け合って、努力してきました。
しかし、人類の一部には、弱さや怠惰を食い物にして罵倒して、悪意で奴隷化や殺戮などを求めて、犯罪にふけってきたものも実在しています。
人類の一部には、人類としての責任を負わず、人類の経験や努力などを認めない犯罪民族や犯罪者なども実在しており、人類を殺したり危険にさらすなどして食い物にして、膨大な利益をむさぼって肥え太っています。
民族や伝統などの単位などによって、人類の経験や努力などを無視するなどして、割拠して、ごまかしなどの犯罪を正当化するものも実在しており、伝統を悪用したり民族を殺したり危険にさらすなどして食い物にして、膨大な利益をむさぼって肥え太っています。
また、不幸な人がいるからといって、不幸な人がいる限り他人の不幸を食い物にして、原因の分析や解決や成果を挙げるものなどを罵倒して、まともな幸福を願う責務や努力を貶めて駄目にして、自らは何の努力も負担もせず、
自らのごまかしやたかりなどの犯罪を正当化する左翼などの犯罪者も実在しており、膨大な利益をむさぼって、肥え太っています。
まともに生きるまともなものにしか自由や人道は認められません。
犯罪者や犯罪には、自由は与えられず人道も制限され滅ぼされます。
自由や人道のためにも、犯罪者や犯罪が処罰されることになります。
ごまかしやたかりなどの犯罪で生きてきた犯罪者は滅ぶ必要があります。
偶像崇拝や自殺や大量殺戮などで逆らおうとする犯罪国などは、あらゆる犯罪の自由を奪われ人道をおしつけられて強制されることになります。そして、まともなものが犯罪を処罰して責任を負って自立しなければ、見捨てられて、滅ぶことになります。
学校や矯正施設などでは、おしつけや強制などによる教育などがなされる場合もありうるのかもしれません。しかし、教育などを自分のものにできない、まともにならない犯罪者は、自由を認められることもなく、人道も制限されて、滅ぶことになります。
ある国では、犯罪者が立ち上がって、犯罪国家を復興しつつあり、現状のままでは、過ちを繰り返して、滅ぶほかにありません。
ある国では、社会主義や共産主義や、偶像崇拝や債務奴隷制や、侵略や復讐などの犯罪のために、犯罪復興を目指す犯罪者が支持されて力を得ており、殺しや危険や不幸を食い物にして、搾取して肥え太っています。
その国があっても、警察があっても、まともな市民が、犯罪を処罰しなければ、まともなものがまともに生きることはできません。
ここでは、まともなものが、まともにいきるための政治について、政治家などの発言も参考にして、検討してみたいと思います。
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2012/02/12(日) 00:33:05.87ID:7duStSuR0受難と復興の日誌編(46)
2012.1.21 03:11
■「鮮血の中の劇的なうぶ声、実に人生観を一変するばかりの光景なり。実に人間は、母の血潮の中に最初の叫びをあげるのである」(山田風太郎)
当時は医学生だった作家、山田風太郎の怒りは終戦から2年がたとうとしてもなお、おさまっていなかった。
《米新聞記者曰(いわ)く「日本にはまだ過去のアヤマチを自覚しない頭の固い人間がいる」。何を言っとるか。アヤマチとは彼らから見たアヤマチではないか。頭が固いとは不動の決意を意味するのだ。道は唯一(ただひと)つ、再び実力を得ること!》
昭和22(1947)年春の日記の書き込みである。別に《日本人の自信喪失せるや滑稽なるばかり也》ともある。
《ソヴィエット自身、理解を自ら踏躙(とうりん)して日本に宣戦布告したるにはあらずや、吾人はソヴィエットに恨みあり、米国にもあれど、こは後日の御馳走(ごちそう)として、さしあたりソヴィエットに復讐(ふくしゅう)せんと欲す》
これは同じころにつづられた記述。そして終戦記念日の8月15日、山田は前年と同様、次の一文を刻んでいる。
《われらが復讐記念日!》
そんな山田はこの年の晩秋のある日、外来実習で初めて、出産の瞬間に立ち会った。冒頭はそのさいの記述で、以下の一文が続く。
《雲霞(うんか)のごとき群衆を日々眺(なが)めて、人間を殆(ほとん)どゴミのように考えていたが、その観念がいささか改まった》
山田の、若さゆえの筆のすべりは、ぜひともご容赦をお願いしたい。そうすれば、史上の混乱期にある一人の多感な青年の心にさした、“復興の曙光(しょこう)”が見えてくると思う。(文化部編集委員 関厚夫)
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2012/02/12(日) 22:25:54.31ID:hTBXi0xc0この世は一新せられた。
黒船以来の総決算の時が来た。
民族の育ちがそれを可能にした。
長い間こづきまはされながら、
なめられながら、しぼられながら、
仮装舞踏会まで敢てしながら、
彼等に学び得るかぎり学び、
彼等の力を隅から隅まで測量し、
彼等のえげつなさを満喫したのだ。
今こそ古しへにかへり、
源にさかのぼり、
一瀉千里に奔流となり得る日が来た。
われら民族の此の世に在るいはれが
はじめて人の目に形となるのだ。
ひよどりが鳴いてゐる、冬である。
山茶花が散ってゐる、冬である。
だが昨日は遠い昔であり、
天然までが我にかへった鮮明な冬である。
※この詩は、昭和16年12月10日作、昭和17年1月の『改造』に発表された。
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