政治と愛について
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2012/02/12(日) 00:33:05.87ID:7duStSuR0受難と復興の日誌編(46)
2012.1.21 03:11
■「鮮血の中の劇的なうぶ声、実に人生観を一変するばかりの光景なり。実に人間は、母の血潮の中に最初の叫びをあげるのである」(山田風太郎)
当時は医学生だった作家、山田風太郎の怒りは終戦から2年がたとうとしてもなお、おさまっていなかった。
《米新聞記者曰(いわ)く「日本にはまだ過去のアヤマチを自覚しない頭の固い人間がいる」。何を言っとるか。アヤマチとは彼らから見たアヤマチではないか。頭が固いとは不動の決意を意味するのだ。道は唯一(ただひと)つ、再び実力を得ること!》
昭和22(1947)年春の日記の書き込みである。別に《日本人の自信喪失せるや滑稽なるばかり也》ともある。
《ソヴィエット自身、理解を自ら踏躙(とうりん)して日本に宣戦布告したるにはあらずや、吾人はソヴィエットに恨みあり、米国にもあれど、こは後日の御馳走(ごちそう)として、さしあたりソヴィエットに復讐(ふくしゅう)せんと欲す》
これは同じころにつづられた記述。そして終戦記念日の8月15日、山田は前年と同様、次の一文を刻んでいる。
《われらが復讐記念日!》
そんな山田はこの年の晩秋のある日、外来実習で初めて、出産の瞬間に立ち会った。冒頭はそのさいの記述で、以下の一文が続く。
《雲霞(うんか)のごとき群衆を日々眺(なが)めて、人間を殆(ほとん)どゴミのように考えていたが、その観念がいささか改まった》
山田の、若さゆえの筆のすべりは、ぜひともご容赦をお願いしたい。そうすれば、史上の混乱期にある一人の多感な青年の心にさした、“復興の曙光(しょこう)”が見えてくると思う。(文化部編集委員 関厚夫)
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