まともなものは、間違えても、間違いを止めて、改めて、まともな社会に復帰することに誇りを見出すことでしょう。
犯罪者は、間違えても、間違いをごまかして、誇りだとか子供のためだとか、都合のいい言葉で洗脳して、正しかったと言いくるめて、悪意で間違いを押し通して犯罪をすることに、犯罪者としての命をかけて滅ぶのでしょう。

善に勝利しても、破滅するほかにないでしょう。
しかし、善に対する勝利を求めて、破滅に突き進む犯罪者は、きわめて情熱的に戦っています。

犯罪を誇って滅びに向かって勝利するものをとめることなど誰にもできないと証明されるのかもしれません。