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中曽根康弘「JAL123便は私が撃墜命令した」

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2010/10/31(日) 11:54:03ID:t9OYAVU40
JAL123便は自衛隊が撃墜した

http://johnbenson.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-3143.html

中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる発言があります。
それが真実であるか否かは闇の中。
その中の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して
「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」...
総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件として言い出した。「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、目撃者が出たらどうしますかに対して「何とかしろ」「殺せという意味ですか」に対して「私をこれ以上人殺しにするつもりか」と怒鳴り
「何とかしろは何とかしろという意味だと」怒鳴っていた。
0724^@kj7^@kj7 ◆FRhlSGU9oiiD 2015/12/28(月) 00:04:34.65ID:k3hoVMRL0
 
>>723の補充資料
 
 『日航機墜落事故・真実と真相−御巣鷹の悲劇から30年、正義を探し訪ねた遺族の軌跡』
 (文芸社:小田周二)
 −214頁〜215頁−
 生存者の捜索発見、及び奇怪な救出搬送活動について
 4名の奇跡の生存者の存在は、自衛隊・政府によることでの明らかな謀略の破綻だったのではないのだろうか。
彼女たちが生きていたと知った時に、自衛隊・政府権力者は、顔から血の気が引いたに違いない。
それは、まさに驚愕の悪夢であった。
 この悪夢を葬り去ろうとして、自衛隊・政府が、最後の足掻きとして、新たに画策したことが
「航空事故調査報告書」の捏造であった。
 更(さら)に、念には念を入れて、事故内容を永遠に秘密のベールに包んで闇の中に閉じ込めようとしたことが、
日航機事故資料の廃棄処分である。その点で、運輸省(現・国交省)も「同じ穴の貉(むじな)」であり、
重大な組織的犯罪の共犯者なのである。もちろん、群馬県警、日航も、いわば協力者であり、
事態隠滅作戦の実行補助者、共犯者なのである。
0725^@kj7^@kj7 ◆FRhlSGU9oiiD 2015/12/28(月) 00:07:26.79ID:k3hoVMRL0
 
>>723-724の補充資料
 
 『日航機墜落事故・真実と真相−御巣鷹の悲劇から30年、正義を探し訪ねた遺族の軌跡』
 (文芸社:小田周二)
 −217頁−
 自衛隊指揮官は「乗客乗員全員死亡」と「捜索中止」を指示
 1985年(昭和60年)8月13日朝8時頃に、自衛隊の大部隊が墜落現場に到着した。
それの自衛隊幹部が真剣に救助活動を行なわず、「乗客乗員全員死亡、救助打ち切り」と命令したが、
長野県警と上野村消防団員らが「まだ、生きている人がいるぞ」と叫んで救出活動を続け、
幸いにも4名の生存者を発見したのである。
 もしも、かかる長野県警、上野村消防団の勇気がある行動がなかったら、恐らく落合さんら4名の生存者も、
皆(みな)死亡していたと考えられる。
 しかも、4名の生存者が救出されたことは、自衛隊・政府にとっては考えられないほどの衝撃であったと思われる。
なぜなら、自衛隊・政府は墜落後に、全員死亡との既成事実を現実化しようとして、特殊精鋭部隊が忠実に
極秘任務を実行しており、自衛隊・政府は「乗客乗員全員死亡」と確信していたからである。
 しかし、完全犯罪が成立することは小説やドラマの世界だけで、現実社会では完全犯罪は、
まず不可能である。実際に4名の生存者が発見されて、自衛隊・政府の謀略活動は完膚(かんぷ)なきまでに
破綻したのである。
 数十名が即死を免れ、4名が生還することができたことは、垂直落下墜落の機体を水平飛行に
回復させたことでの高濱機長らの驚異の優秀な操縦技術によることは明らかで、賞賛に値するものである。
 自衛隊・政府の「圧力隔壁破壊説」は破綻し、崩壊した。政府権力者・自衛隊幹部は、
人間として血も涙もあるのなら、一刻も早く事故の「真実」と「真相」を説明し、詫びるべきである。
これ「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず」である。
 
 究明されるべきことでの墜落場所での奇怪な事象
 ようやく捜索活動が始まると、次のように不思議な出来事が起きている。
 @8月13日の朝9時〜10時頃に、地元・上野村の消防団が獣道(けものみち)を伝って
墜落現場に登って行く途中で、沢伝(さわづた)いに下って来ることでの中年男性3人と中学生くらいの男の子の
4人連れに遭遇している。墜落現場から来たと言うのに、挨拶しても返事もしないし、
何も語らないことでの不気味な沈黙の集団だったと消防団のメンバーは記憶していると言う。
(飯塚訓・著『墜落現場、遺された人達−御巣鷹山、日航機123便の真実』より)
 A公式に生存者とされることでの4人の女性以外に、3名ないし4名の生存者が目撃されている。
生存者4名の現場から、更(さら)に2百メートルの急斜面を登ったところにいたことでの
朝日新聞社の社会部記者が「今、更(さら)に3人の生存者救出!2人は担架に乗せられているが、
1人は担架が必要性がないほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている」と無線で報告している
(朝日新聞社社会部記者)
 B「1人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は
毛布を被(かぶ)されているために、男女の別や怪我の程度は、はっきりしない」と元気で無事に
救出された女の子のことを報告。だが、その後に、女の子はどうなったのか?突然に、
その存在が消えてしまう(朝日新聞社前線キャップ・木村卓而氏)
 C8月13日午前。7,8歳くらいの小さな男の子が走り回っているところを自衛隊員に
発見されているとの報告が無線で、直(ただ)ちに流された。報道関係者も、この無線を傍受しており、
「男の子発見」のニュースが流れた。「現場は惨憺たる状況です。間もなく担架に乗せられたことでの
7,8歳の少年が運ばれて来ます」と生中継している。しかし、その後に、この男の子に関する情報は途絶。
まるで神隠しにでもあったように、こう小さな男の子の消息は一切(いっさい)が表に出て来ない。
(フジテレビ「ニュースレポート」で山口アナウンサーがマイクで生放送)
 
 更(さら)に、生存者の目撃証言に現れることでの「元気な男の子」の存在も奇妙である。
果たして男の子は、どこへ消えたのか?恐らく男の子は13日・早朝に行なわれたことでの
自衛隊特殊精鋭部隊の残虐行為を見ていたために、その存在が闇に葬られたのではないかと推察するしかないのである。
 
0726^@kj7^@kj7 ◆FRhlSGU9oiiD 2015/12/28(月) 00:20:14.16ID:k3hoVMRL0
 
>>723-725の補充資料
 
 『完全犯罪・JAL123便撃墜事件』
 (文芸社・2003年8月1日初版第1刷発行、2003年10月15日初版第2刷発行:北陸大学調査役・池田昌昭)
 −140頁〜142頁−
 第1章 拉致疑惑
 1.4人連れ
 8月13日午前9時半か、10時頃に、地元・上野村消防団が墜落現場に、獣道(けものみち)を
登って行く途中で、沢伝(さわづた)いに下って来る「4人連れ」に遭遇している。
 4人のうち3人は中年男性で、残り1人は、中学生だった。
 軽装で、消防団には挨拶もなく無言で下って行った。上野村消防団員が、4人連れを目撃した状況を、
飯塚訓・著『墜落現場』から引用する。
 「更(さら)に20分ほど急坂を登り、また沢の方に下り始めた地点だろうか、沢伝(さわづた)いに
下りて来ることでの、中年の男性3人と、中学生くらいの少年が加わったことでの4人のグループに出(で)くわした。
 熊笹(クマザサ)が生い茂る獣道(けものみち)を歩くにしては、余りにも軽装だ。
半袖シャツ、Tシャツ、ズボンにウォーキングシューズ。カメラなどの所持品は持っていない。
男2人が小(ちい)さ目のナップサックを背負っているくらいだ。警察官でもないし、報道関係者でもない。
勿論(もちろん)に自衛隊員でもない。『こんにちわっす』。消防団員の何人かが挨拶をしたが、
何の返事も返って来ない。
 ただ、中年の一人が、軽く頭を下げたように見えた。
 『あれは、今でも不思議でしようがないよ。地上から本谷上流を登った者は、俺たちが間違いなく最初だよ。
それなのにさぁ、もう下りて来るヤツがいたんだもんなぁ。自衛隊とかさ、マスコミの連中なら分かるよ。
後(あと)で機動隊の人に話したら、「俺たちは、そういう人には会っていない。嘘だんべ。
亡霊でも見たんじゃあねぇの」なんて言いやがる。じゃあ、誰なんだ。あれは・・・・・。背筋がゾクっとしたぜ』。
 宮沢が首を傾(かし)げる。
 『変(へん)だいなぁ』。中沢が、相槌(あいづち)を打った。[中略]
 まず群馬県側の地上からスゲノ沢に最初に到着した者は、上野村消防団員に間違いない。
そして分団ごとに分かれたことでの40人〜50人の消防団員が、下山して来ることでの
軽装の4人(うち1人は、たぶん中学生)と擦(す)れ違ったことも事実だ。そして、その場所はスゲノ沢まで、
後(あと)僅(わず)か20分〜30分の地点であった」。
 この中年男性3人と、男子中学生は、いったい何者か。
 普通であれば、「現場は酷(ひど)い」とか「現場は、もう直ぐだ」とかの会話が、
擦(す)れ違ったときに交(か)わされても良さそうである。峻険(しゅんけん)な山であるにも拘(かか)わらず、
軽装であることや、威圧を感ずることでの無言のままで、通り過ぎる様子から何を直観するか。
 極めて、陰険な威圧感を直観する。
 この男子中学生は、いったい誰か。
  男子中学生は、JAL123便機体後部の破壊から生存し脱出をし、スゲノ沢に放り出されたと推定される。
墜落現場で生存していたのだ。
 翌朝になり、中学生は機体の傍(そば)を離れ、直ぐ横の林の中に待避した。否、墜落後に、気が付いて、
直ぐに「身の危険」を察知して付近の林に逃げ込んだ。
 男子中学生が、JAL123便の乗客の一員とすれば「ミサイル撃墜を喋られては、まずい」と
上からの身柄確保・身柄連行命令があったのだろう。
 
0727^@kj7^@kj7 ◆FRhlSGU9oiiD 2015/12/28(月) 00:31:40.12ID:k3hoVMRL0
 
>>723-726の補充資料
 
 『完全犯罪・JAL123便撃墜事件』
 (文芸社・2003年8月1日初版第1刷発行、2003年10月15日初版第2刷発行:北陸大学調査役・池田昌昭)
 −175頁〜177頁−
 6.消防団員に抱えられた女の子
 13日午前に救出されたことでの「消防団員に抱えられた女の子」の消息も、
その後に完全に途絶してしまった。
 「『朝日新聞』通信部・村幸彦の問い合わせの無線に出た者は、最初の生存者発見現場ではなくて、
そこから約2百メートルの急斜面を登った不ことでの激突の現場にいる記者だった。
『今、確かに登って来ている。3人がいる』。
 記者は叫んだ。もう一度、社会部から掛かって来た電話に、前線キャップの木村卓而は
『直ぐに雑観記事を送る。社会面を20行を空(あ)けてくけ』と怒鳴って、
現地からの無線のやり取りを聞きながら原稿を送った。
 『一人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。
他の2人は毛布を被(かぶ)されているために、男女の別や怪我の程度は、はっきりしない』」。
 担架に乗らないで歩いて救出された女の子のことが、明確に記述されている。
 この女の子は、その後をどうしたのか。女の子が存在したこと自体が、完全に世間から抹消されている。
 7.担架で毛布を掛けられた2人
 生存者を女性4人にしておくシナリオが、既に決定されていたから、
救出された女性4人以外の生存者のことは、以後に完全に「黙殺」されたのではないか。
 
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