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それでも地球は動く

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2005/08/14(日) 04:36:34ID:9K+w8YE/0
第2回の裁判
1630年、ガリレオは、地動説の解説書、『天文対話』の執筆。
この書は、天動説と地動説の両方を、それぞれを信じる2名の者による対話によって紹介する形をとり、
地動説のみを唱えて禁令にふれることがないよう、注意深く書かれていた。
ガリレオは、ベラルミーノの判決文の内容から、地動説を紹介しても、
その説に全面的に賛同すると書かなければ問題はないと考えて出版許可をとり、
ローマ教皇庁も若干の修正を加えることを条件に出版許可を与えた。『天文対話』は、
1632年2月22日、フィレンツェで印刷、発行された。

翌1633年、ガリレオは再度ローマの異端審問所に出頭するよう命じられた。
容疑は、1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、
それを破って『天文対話』を発刊したというものだった。ガリレオはベラルミーノ枢機卿の無罪の判決文を提出して反論した。
しかし、異端審問所は、ガリレオを有罪とするという裁判記録を持ち出して再反論した。
この裁判記録には裁判官の署名がなく、これは異端審問所自らが定めた規則に沿わないものであった。
しかし、裁判では有罪の裁判記録を有効とし、ガリレオの所持していた判決文は無効とされた。
第1回の裁判の担当判事ベラルミーノは1621年に死去しており、無効の根拠を覆すことはできなかった。
この結果、ガリレオは有罪となった。1616年当時の裁判にも参加し、
ガリレオの親友でもあったバルベリーニ枢機卿(Barberini)がローマ教皇ウルバヌス8世となっていたが、
教皇の保護はなかった。一説によれば、『天文対話』に登場するシンプリチオ(「頭の単純な人」という意味)
は教会の意見を持っており、シンプリチオは教皇自身だと教皇本人に吹き込んだ者がおり、
激怒した教皇が裁判を命じたというものがある。この説には物証がないが、当時から広く信じられている。

1633年の裁判の判決で、地動説を捨てることを宣誓させられたガリレオが、
宣誓の言葉に続いて小声で(あるいは大声で)「それでも地球は動く!」と叫んだという有名な逸話は、
当時の裁判制度からしてありえないと考えられている。
もしそれが事実なら、ガリレオは間違いなく火あぶりになっていたはずである。
しかし、この逸話が18ないし19世紀の伝記作家の創作であるというのは誤りである。
1643年または1645年に、「それでも地球は動く」という文字がついた、ガリレオが鎖につながれている姿の絵がスペインで描かれている。
もちろんガリレオは牢獄につながれたわけではないので、この絵は誤っているが、
当時からこの逸話が広く流布していたことを示すものである。
当時、ガリレオに同情する高名な学者や宗教家が、ガリレオを擁護するために語った逸話が現代に至るまで語り継がれた結果として、
伝説的な逸話の多い人物になったと考えられる。

要するに小泉=ガセビア
0002名無しさん@お腹いっぱい。2005/08/14(日) 04:38:33ID:pkqD70uI0
どう考えても、ガリレオが日本語で「それでも地球は動く!」と叫んだとは思えん。
0003名無しさん@お腹いっぱい。2005/08/14(日) 04:49:30ID:ovyhtiTg0
死ねよ、小泉
アメリカに日本を売り渡すためだろ。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
0004名無しさん@お腹いっぱい。2005/08/14(日) 04:57:38ID:9K+w8YE/0
地動説発表したのはコペルニクス

ドック博士の犬ではない
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