板垣退助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E9%80%80%E5%8A%A9

1882年、岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷した際に「板垣死すとも自由は死せず」と叫ん
だという説が流布しているが、実際には板垣はこのようなことは言っていない。この事件
の直後、小室信介(案外堂)というジャーナリストが岐阜で行った演説の題名「板垣死ス
トモ自由ハ亡ビズ」が、板垣自身の発言として世間に広まったものである。ちなみに、こ
のとき板垣を診察した後藤新平を、「彼を政治家にできないのが残念だ」と、語ったそう
だ。(以下略)