>>396
> 「タネなんかどうでもいい」というような、そういうスタンス。
> これが、結構効く。
表現はちょっと気に入らないが、「そこを緊張しないでさらりとやると効果的」という
意味であるなら同意する。というか、それは当然のことだと思ってあえて
言ってこなかったんだけど。そこも俺の言うところの「工夫」に含まれる。

> 「薄める」「意識外にする」は、不可能なので、
> その意図は不自然さにしかならない。
ここがわからない。どこが不自然なのだ?不自然にならないように
「薄める」「意識外にする」ためにどうすればいいか苦心しているんだけど。
具体例をあげて、どう不自然になるのか説明して欲しい。
そうすればぶねお君の言いたいことがわかるかもしれない。

> 必ず紙に向かう。
だから、うまく演出すると向かわないんだって。それは俺の経験から言えることだが。
「必ず」とまで言い切る理由を語ってくれ。
ぶねお君は、「薄める」「意識外にする」は、「俺には」不可能なのであきらめる。
と言っているようにしか俺には聞こえない。

> 目的に沿っているので、怪しくはなくなる。
この一文だけなら、それも「薄める」ための1手段なので同意できるんだけどな。
「紙に書くのは当然で自然な演出」をすることで、「わざわざ紙に書いた」という意識を
薄めることができる。強調してしまったら、それがうまくいかない。

強調した結果、「紙に書く」目的が明確にできるというのはわかる。
でも、それが「盗み見たと思われにくくなる」とまでいくのに論理の飛躍を感じる。
観客は後から振り返って「どうやったんだろう」と考え始める。
その結果「紙を盗み見たんだ」と思う可能性は高くなるようにしか思えないのだが。
やっぱり、「強調する方が盗み見たと思われない」というぶねお君の理論は
理解できないよ。