よくビリーバーの人と話して落差を感じるのは、現在の科学に反する
現象ということの意味がわかっていないこと。つまり現在の科学も
わかっていないからそれに反するということの重大性もわかっていないのだ。
だから簡単に信じることができる。

たとえばユリゲラーが日本のテレビで視聴者の壊れた時計を動かす超能力が
あった。タネは、オイルが固まってうごかなくなった時計を暖めているうちに
動くものがあっただけのことだが、タネはおいておく。なぜこれを信じる人が
いるかとえば、そもそも時計の中身を知らないからだ。たとえばギアがかけて
いたりバネが切れていれて動かなくなった時計が動くと言うことは、動力がなく
ても針だけ動くか、かけたギアやバネが再生するということなるのだが、
ここまで例を示されれば「そんなことはないだろ」とほとんどの人は思うだろう。
しかし電池がなくなった時計はどうか。これは電池の原理を知らない人にとっては
「もしかして電気が戻ることもあるかもしれない」と思うだろうが、電池の原理を
知っている人にとっては、かけたギアが再生するのと同じくあり得ないことだ。
電池が自然にもとにもどるということは、水が氷と熱湯に自然に分かれるのと同じくらい
あり得ないことなのだ。

科学者の側が超能力を厳しすぎるほど厳しく検証しようとするのは当然だ。
そもそもほとんどあり得ないことを主張しているのだから、検証が厳しいのは
当然である。複数の人が何回も何回も検証してそれでも実在するとしか考えれらない
場合、原理が分からなくても実在を認めるのだ。

そういうことも何もしらず、ただ不思議なことがある、と信じる人には
テレビのリモコンでさえそれを知らないときにやってみせれば超能力だと
信じるだろう。

もしアンデルセンの人がジャンケンで100%勝てるのならそれは瞬間後出し
しかないだろう。これなら人間のもともともっている能力の極端な例なので
テレパシーやら予知より何億倍も可能性が高い。