ギアトリンガーもギアダリンガーも、「フタを閉じないと作動しない」という弱点があったとは!
バラシタラさんの作戦、重箱のすみっコをついてきましたね。さすが“トジ”テンドというか、戦いを積み重ねてきただけのことはあるというか。


おなじく、制作現場もエピソードを積み重ねてきました。
スタッフ間の雑談も、振り返り話が多くなってきます。

「言うほどやってないのに、食い物系ワルド多い気がしない?」
「カシワモチのインパクトかな」
「思えば序盤は、キノコワルドとかスシワルドとか、もっと包括的だった気が」
「今やり直すなら、ブナシメジとかテッカマキとか、ピンポイントになってたかも」

どんな番組も生き物。
シリーズが進むにつれ、変質していきます。
その変質が、かならずしも進歩とは言いきれず。「こういうことをやりたい」という企画なのに、なかなかできずに進んでしまったりもします。


この番組の基本コンセプトは、理屈っぽく言うと、こんな↓イメージでした。

それぞれ日常をうしなったメンバーが出会い、化学反応を起こし、新しい日常をつくっていく。
「世界を守る」と言っても、本人たちには守るべき世界がない。だから、いまあるこの世界をベースに、「失敗も挽回、何回もトライ!」の全力ゼンカイ精神で、自分たちでこしらえていく。

世界を上書きしてしまおうとするトジテンドに対し、世界をアップデートするのがゼンカイジャーさんたち……という対比。


──てなことを描きたかったら、ホントはもっと、いわゆるゲストエピソードが多くないといけません。
ゼンカイジャー5人をはじめ、レギュラー登場人物の欠落(うしなわれた日常)を家族がらみに集約してたり、ワルドさんがたの作戦描写に尺を食ったりで、どうしてもレギュラーどうしのドメスティックなお話に終始してしまいがちですが、レギュラー間でくちゃくちゃやってるだけでは、世界なんか変わらない。

シリーズ終盤も近づき、だんだん“本線”が強くなってくる今日このごろ。
次カイ、少女の些細な日常を守ろうとするお姉さまがた。ちょっと本線を離れるように見せかけて、こっそり番組の本質に迫ります!

(文責・白倉 伸一郎)