>>414
柳原さんは、事件現場の場所も、証拠となるものの所在も何も知りませんでした。

しかし、自供後はあっと言う間に柳原さんは逮捕・起訴されてしまったのです。

警察・検察はもちろん、メディアで実名報道され起訴されてしまったことから、担当の弁護士、家族まで、誰ひとりとして自分の無実を信じてくれない状況でした。

裁判では弁護士からも「裁判官から何を言われても認める方向で」「控訴しても無駄」と言われており、事実上の孤立無援状態だったそうで、

あまりの絶望的な現実に、”自分は罪を犯したんだ”と思い込まなければ、生きていくことができないほど過酷な日々だったと言います。

そして、裁判で柳原さんはやってもいない容疑を認め、有罪判決が下り2002年11月に懲役3年が確定しました。

無罪であるのにも関わらず柳原さんは3年間刑に服し、2005年1月に出所しました。



柳原さんが出所した後の2006年11月に、真犯人が判明しました。

その真犯人は、別の婦女暴行事件で鳥取県警察に逮捕された男で、自分が真犯人であることを自供したのです。(真犯人は柳原さんが起訴・有罪とされた2件を含めた14件の婦女暴行事件で起訴され、懲役25年の判決が下されました)

その後、2007年1月17日に富山県警察と富山地検が柳原さんに謝罪しました。

そして柳原さんには、2007年10月10日に無罪判決が言い渡されたのでした。