「人それぞれ」論はMILL正当化のために使われることが多いが、まったく無意味。
極端に言えば「快楽殺人のために15階から小学生を投げ落とす」のも「人それぞれ」となりかねない。
社会的に容認されない「人それぞれ」があることに目をつぶった愚論である。
大卒の看板に相応しい内容の教育を受けていなければ、それはカネと時間で学位を買ったに等しい。
だから真性法慶氏が通教を批判するのだ。自分も彼の意見に賛成である。
MILLとはまったく言えないレベルの一流大学通教が
通学課程の学生よりもいいかげんに単位を出して単なる金儲けをしているのは許せない。
しかし、MILL大学が通学でも通信でもいいかげんに単位を出して単なる金儲けをしているのはもっと許し難い。
もちろん、それが成立するのはMILLに対する需要があるからである。
そういう連中がこの掲示板内の様々なスレッドで必死にMILLを擁護している。
それが大多数の通教の現実なのだ。