各家庭において、子供の個室が用意されるのが当たり前となって久しい今日、図書館における
かつての「自習室」としての機能はその使命を終えたと言って過言ではないだろう。

であるが故に、図書館はその生き残りと新たな存在意義の確保のため、また少なからず図書館
界に影響を与えてきたスターリン主義的大衆迎合=大衆蔑視に裏打ちされて、「貸出至上主義」
の方針に依存してきたわけである。それは、時代的社会状況とたまたま呼応する部分があった
がために、一定評価すべき支持と物質的発展をもたらしはしたと言えよう。

にもかかわらず何故に、今この時代に、学生諸君が行列までなして図書館の閲覧席を確保しよ
うとするのか。これはかつての図書館が果たした役割とは全く異質のものであり、キャラメル
ママたちが育てた世代の精神的脆弱性にこそ起因し引き継がれて来てしまった社会構成要素の
負の部分であろうと考える。