初めに、あるいは速読の練習を続けているうちに、団体側は「速読とは
別に初見の本を1分何万字と読むことではなく、既に読んだことのある
本を速く読めるようになることだ」というようなことを言い出す。
したがって、講師は生徒に初見の本を速読してみせる必要はない。
また、(二度も三度も読んでいれば速く読めるのは当然だが)生徒も
前に読んだことのある本が速く読めればよく、初見の本がにわかに
速く読めなくともよいということになる。
こちらは、それでも専門書など再読でも1分間に何万字も読めるように
なるのなら価値があると思って続ける。あるいは、講師側が再読でも
1分間に何万字も読めるようになれば初見の本も1分間に6千−7千字
もよめるようになると言ったりする。
そのうち、「同じ本を何度も何度も読んで、中身を覚えるくらい読んで
、そうすると1分間に何万字も読めるようになる」というような話に
なってくる。要するに、何度も読んだ本のページの適当な箇所の字面か
段落構成のレイアウトを見てそのページの内容を思い出しているだけに
すぎない。これに気づく頃には、大抵の人が、既にある程度の金を
使った挙句にそんなこととは知りもせずにやめているか、金を何十万も
つぎこんでいて、今度は自分が雇われ講師としてでも同じ手口で金を
稼ぎ、少しでも使った金を回収したくなっているかの、どちらか。
誰かがどこかにした投稿をみると、「何万字読めるという人に聞いて
みたけど、自分でも読んでいるような気がするだけと言われて、本当に
読めているのか、はっきりしない」というのがあったが、してみると、
その段階に至ってもこのカラクリがピンときてない人もいるらしい。