極論をもうひとつ
十分に広い視野がある、または1行あたりの文字数が少ないの
どちらかの状況なら、全く眼球を動かす事無く読むこともできる。
気持ち悪いがそのまま声に出して読むなんてまねもできる。
見えてるんだから当たり前だが、ちょっとぼやけてるは、何処まで
よんだかわかり辛いわでやる意味は無い。

同様に横幅を調整すれば、文章の中央付近を一直線・縦方向に
見ていくことで、全体を読むことも十分できる。
ただ脳内の処理が追いつかない為、やはりゆっくり動かす事になる。

結局落ち着き先は脳内での処理速度に見合った量づつ見ていく
事になり、既視感たっぷりの読書になる。
既視感を感じる=見えているだが、これを読めていると解釈すると
一気に3万字とかまではねる。
そして既読本ではこれに近い速度でも読めるというか思い出せる。
いや、ちょっと言いすぎかも。
まあ1万はいけると思うけど。

最後に一つ。
なんか妙に絶好調で見えている≒読めているな時がある。
1行目をよんで2行目に目を移すころにはもう2行目の内容が把握
できているという状態で、2行目の途中で3行目以降に目を移す。
これを定常化できれば、今の記憶可能2000、流し読み〜5000が
記憶2100、流し読み1万以上とかになるんだろうけど。