>>418
キティというより一般的な話だと思われ。
「金(きん)、株、小豆、とうもろこし」から「ジー○ーグループ」にいたるまで、およそ消費者に金を出させるときには何らかのプラス思考を注入している。
プラス思考注入の度合いが過ぎていると、「催眠商法」と呼ばれる。
この消費者が「催眠商法」であったと気づくのは、具体的対価が得られなかったことに気づき、マイナス思考に陥るというプロセスが必要である。
しかしながら、扱われる「商品」が具体的対価(金銭的価値を持つもの)から、精神的対価(プラス思考)に変換されると、状況は一変する。
 (1)「プラス思考の獲得に成功」→「もはや催眠商法ではないのかと疑問など持たなくなる」
 (2)「これは催眠商法ではないのかと疑問を持つ」→「それはマイナス思考であり商品の価値を生かそうとしない消費者の態度に問題があると責める」
という2種類の態度をとりつづけることにより、「催眠商法ではないか」という指摘を回避することが出来るのである。
従来、精神的対価を供給するのは宗教の役割であったが、財の交換によって成立する経済的価値観とは相容れないものであった。
したがって、精神的対価である「催眠されること」自体を経済的に商品化したというのはある意味コロンブスの卵ではあるが、革命的な出来事であったと思われ。

(注)上記の話は、特定企業を想定した話ではありません。