>>583
話を作るなや。それじゃあ、詳しく教えてやるよ。俺はもともと数学が好きな理系っ子だった。
成績も俺の学校ではそこそこ良かった。一般の学校だと、かなりいい成績ということだ。
第一志望は、国立医学部の中でも上位のところ、理三や京都医、阪大医は明らかに無理
だったから、それより下位の旧帝国大学の医学部だった。
ずばり、当時、高校の先生からは、秋田大や島根大や琉球大など国立の底辺の医学部
だったら、現役で受かるって、言われていた。
実際、河合塾や駿台、代々木ゼミナールなどの模試では国立底辺の医学部だったら、
A判定をとっていた。しかし、俺は、田舎の山村や離島で医師などやりたくなかったし、
同級生は皆、東大、京大、一橋、東工大、医学部だったら、国立なら旧帝医か千葉大医、
横浜市立医などを志望していた。
もともと俺は理系だったが、特に強く、どの方向に進みたいという希望はなかった。
医学部受験を勧めたのは、学校の先生たちと級友だ。
ところが志望する医学部はなかなかA判定が取れず、直前に受けた模試でも合格は
やや難しいかなという結果だった。
一次試験では総合点でほぼ9割近い点を取っていたので、どこも受験しないのは、もった
いなかった。
そこで東工大は確実だったから、受験した。当時は、今ほど国立の駅弁医は難しくなかった。
もし、そのとき、東工大でなく、駅弁医を受けていたら、合格していたと思う。
そして、もともと俺は理系だったから、学士入学するにしても、早慶の文系には自信がなかった。
文系の科目なんて、真面目に勉強したことがなかった。
まあ、司法試験の受験科目は別だがな。
だから、通っていた司法試験の予備校に近い法政大学にしたのさ。
まあ、転入試験は英語と専門科目数科目だったと記憶しているが、楽勝だったがな。
もし、文系でなく、同じ理系の早慶の学部だったら、法政以上に楽勝だったろう。