1868年1月10日(慶応3年12月16日)、江戸(現東京都)芝中門前町(現在の芝大門)に生れる。
父は幇間で根付師の尾崎谷斎(惣蔵)、母は庸。もともと尾崎家は伊勢屋という商家であると推定されるが、
惣蔵の代には既に廃業していたようである。
紅葉は父の職業を恥じ、親しい友人にもその職業を隠していた。
伊勢屋は呉服屋説と米問屋説があるが不明である。1872年(明治5年)、母と死別し、母方の祖父母荒木舜庵、
せんのもとで育てられる。寺子屋・梅泉堂(梅泉学校、のち港区立桜川小、現在の港区立御成門小)を経て、
府第二中学(すぐに府第一中と統合し府中学となる。現在の日比谷高校)に進学。
一期生で、同級に幸田露伴、他に沢柳政太郎、狩野亨吉らがいたが、中退。
愛宕の岡千仭(岡鹿門)の綏猷堂(岡鹿門塾)で漢学を、石川鴻斎の崇文館で漢詩文を学んだほか、
三田英学校で英語などを学び、大学予備門入学を目指した。